●〈高藤仙人の痛快漫遊記②〉 | 第三の眼

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1988 8月 No.6

〈現代の仙人・高藤聡一郎の痛快漫遊記Ⅱ〉

●俺の血を騒がせたダウンタウンの妖怪たち

 

 

何かの掲示板で、高藤さんが弟子に仕事が遅いと灰皿で殴ったりした、と

いったエピソードを見た記憶がある。ホントかなと思っていたが、この回の

記事を読んで、ああ本当なんだなと感じる、高藤さん本人も「荒っぽさはこ

のうえなかった東京の下町の出だ。」と書いている。

 

少年時代を過ごしたのは、江東区の砂町というところで、高藤家は、台湾か

らの引き上げ者(終戦後、台湾から日本に強制送還された人のことだと思う)

で都営住宅に住んでいた。

 

喧嘩が日常茶飯事で、ちょっと気に入らないことがあるとすぐに殴り合い

があったという。高藤さん自身、喧嘩は弱いほうだったが、レンガで相手

の頭をぶち割ったりしたこともあるらしい、大人も子供もこんな感じだった。

 

それに人がよく死んでいたらしい、居住環境が劣悪なうえ、みんな貧乏で

医者にかかれなかった、国民健康保険などもまだなかったらしい。病気を

しても医者にかかれない、それに医療が進歩していなかったから、死亡

する確率が高かったようだ。

 

この時代、見世物小屋とか大道芸といった、娯楽が行われていた。

見世物小屋とは、ヒュー・ジャックマンの『グレイテスト・ショーマン』で登場

していた、フリークスと呼ばれる人たちのショーみたいなもの、日本の場合

は、かなり気味が悪いものだったらしいが。

 

このような、身近にある死や気味の悪いものが、オカルト的なことへと、高

藤さんを導いたのだろう。