1988 7月 No.5
〈高藤仙人の痛快漫遊記①〉
●グータラに暮らしたい一心で成功してしまった俺のハチャメチャ人生
高藤さんはもともと物書きではなく、20代の初めのころは、都庁の
役人で、技術官吏だった。かなり快適な仕事だったようだ。
そんな安定した平穏な役人生活を捨ててしまった。
「むらむらっと心の底に潜む得体の
知れないエネルギーが、私を衝き動かしはじめてきた。」
と書いている。
これは、少年時代に、生まれ育った生活環境がつくりだした、混沌と
した時代のせいだと言っている。
高藤さんが生まれ育った、昭和20~30年代の東京の下町は、喧嘩な
ど日常茶飯事で住んでいるところは、空いている土地にみな勝手にベ
ニヤのバラック小屋を建てていて、違法建築が当たり前といった無茶
苦茶な時代だった。生活環境は劣悪で、子供や働きざかりが、よく死ん
でいたらしい。
夜は真っ暗で、よく幽霊や人魂が当たり前のように出た、とにかく下町で
の子供時代は、強烈な生と死がまじりあった混沌とした世界だったといっ
ている。先の
「心の底に潜む得体の知れないエネルギー」
は、このような環境がつくりだし、高藤さんの性格を形成することになった
ようだ。
役人生活を後にし、どうされたかというと。
昭和41年代の前半は、初めて自由化され、若者達は海外旅行に青春
をかけ、片道切符だけで旅立っていったという、若いころの高藤さんも、役
人生活といった安定した生活を捨て、何年も前から暖めてきた外国放浪
の旅を実行に移した。