信頼の目的がどこにあるのか?
例えばあなたが恋愛関係において「彼女は浮気しているのかもしれない」と疑念を抱いたとしましょう。
そして、相手が浮気をしている証拠を探そうと躍起になる。結果はどうなるでしょうか?
状況次第でしょうか?
いいえ、いずれの場合も山のように浮気の証拠が見つかります。
相手の何気ない言動、誰かとの電話で話しているときの口調、連絡がとれない時間。
疑いの眼をもって見れば、ありとあらゆることが「浮気している証拠」に映ります。その事実が無かったとしても。
「裏切られたとき」「そこで受ける傷の痛みばかりに注目してはいけません。信頼することを恐れていたら結局は誰とも深い関係を築くことができないのです。
浅い関係であれば、破綻したときの痛みは小さい。しかしその関係から生まれる日々の喜びもまた、小さいはずです。
なぜなら、悩みのすべては対人関係の中にあり、幸福も同じであるから。
「他者信頼」によってもっと深い関係に踏み込む勇気を持ち得てこそ、対人関係の喜びは増し、人生の喜びも増えていくのです。
ーでは、裏切られることの恐怖を踏み越える勇気はどこから出てくるのでしょうか?
「自己受容」です。ありのままの自分を受け入れ、「自分にできること」と「自分にはできないこと」を見極めることさえ出来れば、裏切りることは私の課題ではなくて他者の課題であることが出来、他者信頼に踏み込むことが難しくなくなります。
裏切られたくないと願うのは私の課題ではあるが、裏切るかどうかは他者の課題なのです。
―では、裏切られたときの怒りや悲しみはどうするか?
悲しい時は思いっきり悲しむべきです。痛みや悲しみを避けようとするからこそ、誰とも深い関係が築けなくなるのです。
我々には、信じることができます。疑うことも出来ます。そして我々は、他者を仲間と見なすことを目指しています。
信じることと疑うことのどちらを選択するべきかは、明らかではないでしょうか?