稲垣栄洋著「徳川家の家紋はなぜ三つ葉葵なのか」を読みました。

 

著者は雑草生態学が専門の植物博士の方です。私は著者の「雑草から生き方を学ぶ」という考え方に感動し、過去何冊も著書を読んできました。

 

本書は今までの稲垣氏の本と、切り口が全く違います。植物学者が日本史(特に戦国から江戸時代)を語るという試み。大河ドラマが好きな私には、特に楽しく感じる本でした。

 

江戸の日本は植物国家だった

 

・当時の文明国家イギリスでは、テムズ川に悪臭が漂い、伝染病が蔓延していた。人口増に対し、下水度道の整備が追い付かなかったから。

一方、100万人都市・江戸は、人糞尿を農業に利用し、価値のある資源にしていた。江戸の人糞尿は肥料となり、豊かな農業が営まれた。河川も美しく保たれた。江戸時代の日本人はあらゆるものを捨てることなく再利用し、循環型社会を実現していた。

 

・衣類には、綿や麻を栽培したり、桑を育ててカイコに食べさせ絹を生産した。更に染料は、アイやベニバナを栽培して活用した。

・エネルギーは、ナタネや荏胡麻を栽培して油を取った。ハゼから蠟をとってロウソクを作った。

江戸時代の日本は、食糧、建材、衣類、すべてを自給し、すべてを植物から作り上げていた。

現在の私たちは、暮らしのありとあらゆるものを化石燃料から作っている。限りある資源を食いつぶしている現代人と比べて、江戸の人たちを誰が劣っていると言えるだろうか。

 

【私の感想】

最近のテレビでは、盛んに「SDGs」を宣伝しています。江戸時代の日本には、世界に先駆けた「循環社会」があって、衣食住を自然素材で賄っていたことを知り、感動を覚えます。外国から学ぶのもいいですが、江戸時代からある日本の植物活用法ももっと実践すべきだな、と思いました。

 

 

家康が天下をとった健康マニアぶり

 

「生米は食うな」

関ケ原の戦い前夜、冷たい雨が降っていた。米を炊けない雨中だが、家康は「生米は食うな」と指示し、「米を水に浸し、丑の刻になってよりそれを食うように」と言った。

消化の悪い生米を食べさせない細かな気配り。一方の石田三成は、関ヶ原の戦いが終わったとき、下痢をしていたという。生米を食べたことが致命的な結果を招いたのかもしれない。

 

「薬草マニア」

家康は駿府に隠居してから、薬草園で栽培した薬草を自分で調合し飲んでいた。小石川薬草園は、その駿府の薬草園を5代将軍綱吉が小石川に移転し、八代吉宗が「小石川薬草園」として整備した。

 

「長寿食はとろろ」

家康は長生きこそが天下取りの秘策であった。秀吉、前田利家、加藤清正が死ぬと、天下は向こうから家康へ転がり込んできた。

 家康は麦飯を常食とし、「とろろ」を好んだ。山芋は滋養強壮効果がある。家康は、山芋とレンコンをすりつぶし、一対一の割合でご飯にかけた。

 

【私の感想】

家康は植物知識が豊富で、それを活用して成功を遂げた。植物学者からみて、そう解釈されているのが面白いです。私も健康マニアですが、家康のように植物知識を身につけて活かしたいと思います。

 

江戸時代の園芸ブーム

 

大名屋敷では、立派な城を顕示するわけにはいかず、美しい庭園で自らの権威を示した。

園芸家も顔負けの植物知識をもった武士たちが江戸の園芸ブームを支えた。

 

植物好きの家康は、城内に植物を収集した。これが江戸の園芸の始まり。将軍のために諸藩はこぞって珍しい植物を栽培し、献上した。

 

文化文政の頃、尾張でアサガオの鉢栽培が流行。アサガオブームの仕掛け人になったのが、尾張藩士、三村森軒。変わりアサガオの原型となる品種を作出した。

このアサガオをきっかけに、江戸の下級武士たちは、珍しいアサガオの品種改良を内職にした。

 

変わりアサガオは、花が細かく裂けていたり、花が異常に丸まっていたり、色も形も奇妙な、現在のアサガオとは似ても似つかないようなものばかりである。品種改良をしていた武士たちは、劣性遺伝子どうしを掛け合わせる「メンデルの法則」を理解していたとしか考えられない。江戸の下級武士たちは、メンデルより早くこの遺伝子の法則を知っていたほど、高度な園芸技術者であった。

 

【私の感想】

私は自宅でアサガオを育てているので、江戸の武士たちがこぞってアサガオを育てたエピソードに食いつきます。掛け合わせて様々なアサガオを育てるなんて、面白そうな趣味になります。天下泰平の江戸時代に、園芸ブームがあったとは。日本には世界に誇るべき時代があったのです。

 

植物を通して知る江戸時代。興味をそそられました。今の私の暮らしに取り入れられるヒントをいくつか頂きました。

 

ありがとうございました。