武田さんの余命は節制して一年です、担当医師が放った言葉が暗いワンルームマンションの天井に響く。数週間前、お見舞いに来てくれた涼子に病院で語った我が半世記、それがどういうわけか寝ていると自室の白い天井に映像になって転回する。ドラマのように転回するのはいいのだが、ところどころでナレーションが入るのである。

 

 同じセリフで、何度も武田さんの余命は節制して一年ですという俯瞰的な解説調の話し方に、段々腹が立ってきた。この野郎と思った。ナレーターを探し出して刺殺したいような気分になってくる。

 

 退院後、酒は一滴も口にしていなかったが、十日もしないうちに大好物であるシャンディガフを呑みだすようになったのも、正体不明のナレーターに対する怒りの感情を鎮めたかったからである。さいわい、今夜はジョージが来る日ではない、ビールにジンジャエールを薄めて二杯ほど飲むうちに気分が少し落ち着いてきた。

 

 界隈の多くのゲイバー経営者がアルコール依存症者であるのに対し、秋一は決して酒に呑まれることなくここまで生きてきた。成功の秘訣にはそういう自己抑制の強さもあった。勿論、酒の提供を職業に選ぶくらいだから、普通の人より好きであるのは当然である。それでも酒の提供を職業にする人間が酒に溺れては、判事が罪を犯して法廷で裁かれるようなものだという意識を持っており、今までに殆ど泥酔したり深酒することもなく程よく楽しんできたのである。

 

 しかし、医師から余命宣告をされ自宅に帰って来てからというもの、どうしようもない恐怖と不安、そして怒りに駆られてシャンディガフでそれらの感情をまぎらわせようと考えるのもある意味やむを得ないところもある。

 

 いずれ緩和ケアに移行し、ホスピスを探せば痛みの苦しみはなんとかなるかもしれない。しかし、自分の人生の連続性が突然断絶してしまうことに得体の知れぬ恐怖を抱くのである。一日おきにやって来るジョージに徹底的に相談した。彼に当たり散らすことも多くなった。

 

 或る晩、病人用の夕食を作ってくれるジョージから言われた事にハッとした。

 

 「該博なアキさんなら知っていると思うけど、キューブラーの死の受容段階についてはどう思っているんだい。」

 

 悲しそうに俯き加減で口にするジョージである。一時はまるで自分自身の死期が迫ったかのように打ちひしがれていたジョージであるが、最近は自分を鼓舞しているのだと思うが秋一を強く叱咤激励するようになっていた。

 

 確かに該博な秋一は、キューブラーの死の受容段階と聞き心が少し動いた。

 

 死というものを今までは他人事のように考えていた。しかし、実際自分がその立場に立ってみると、恐怖と不安で脳波が揺れ大仏の中に入ってしまっているような気がする。大仏の中に入ってしまえば、大仏を眺めることができないわけで、ここはもう一度大仏の中から外に出て、大仏の真の姿を見つめなおす必要があるのではないか。

 

 「そうか、冷静に考えてみると、自分は今否認を通り越し怒りの段階にあるということになるのかもしれないね。」

 

 「僕もそう思うね。とにかく最近苛立っているのは仕方ないとは思うけど・・・。」

 

 ジョージは悲しそうな目で俯くのであるが、科学万能主義の傾向もあった秋一にとっては少し落ち着くところもあったのである。

 

 今は死というものの中に埋没してしまっている、とりあえず死というものの中から外に出てみるのだ。さいわい、自分にはまだ一年近くの猶予期間がある。この苦悩から逃れ出る一つの方法を見つけ出す勇気と智慧を神が与えてくれるかもしれない。

 

 キューブラーが説く神との取引・・・。

 

 一人呟くのであった。

 

 故郷の母親と姉には何と言えばよいのか、高齢の母が悲しむ姿は想像さえしたくなかった。その点にはまだ整理がつかないうち、十二月中旬の夜、彼は自室から涼子にメール送信した。用件は風車二十五周年記念パーティーの件であり、もし可能ならば早いうちに行いたい、早ければ早いほど都合がいいという丁重な依頼文を送信したのである。都合がいい理由、つまり自分の老い先が迫っているという事については彼女たち一般客には秘密にしておこうと判断した。同時に三日後の日曜日から風車を再開するということも伝えた。風車にとって、ここ最近最大の上客であったのは顔の広い涼子が連れてくる女性たちのグループと大森理事長や羽根女史たちのLGBT支援団体の人たちであった。この両グループの来店だけで結構な売り上げになったのであるから、やはり再開の事前連絡は大事だったのである。それからゲイ仲間たちにも連絡したのであるが、最近ではゲイが相手を探しにゲイバーにやって来るというパターンがきわめて少なっているのは秋一の店だけの事ではなかった。ついで八丈島の母と姉、それに直美にも病気で休んでいた店を再開する旨事後連絡したのだが、やはりまだ余命短い事は伝えないでいた。

 

 通院時、営業再開について担当医に相談したところ反対されたが、かまわずに十二月の半ば過ぎから再開することにしたのである。コロナ後にあって、もはや明け方まで営業する店というのは二丁目界隈にあっては殆どなくなっている。営業時間は今まで夕方の五時からだったのを一時間ずらして六時からにした。そして、遅い時間帯はジョージに変わってもらい彼は早くに帰ることにしたのである。

 

 営業を再開することで、自分の身に奇跡が起こるような気がしたということもある。