錦繍の時季であり、院内廊下の広いガラス窓の向こうには紅葉の高木が目に眩しかった。陽の光が輪のように木々を結んでいるような感じがした。

 

 白い廊下の両側にあるベンチには患者たちの塊がしばらく続いていた。秋一は浴衣の上に少し目立つえんじ色のカーディガンを羽織り、体調が少し戻ったせいか見事なまでに背筋をピンとして歩いていた。彼には常に人に見られている俳優などが放つ落ち着きとオーラがある。美男子とまでは言えないかもしれないが、人を魅する独特な優しさと知性が混在した風貌も凡庸の中に十分に光るものがあった。院内を歩く姿には妙に目立つものがあり、すれ違う女性患者が振り返る。

 

 看護師に付き添われ、担当医師の診察室へと向かうところであった。後方からは少し遅れてスーツ姿のジョージが重い足取りでついてきたが、きっと見知らぬ者が前後縦に並んで歩く二人を見たら、きっと兄弟と見間違うかもしれない。顔立ちよりも顔立ち以外の全てが酷似しているのである。

 

 午後の早い時間帯であり、約一週間前に行われた内視鏡検査等による精密検査について大事な話があるのだという。ジョージにもぜひ同席して説明を聞いていただきたいと言われていただけに、二人とも嫌な予感がしていたのである。

 

 「武田さん、ちょっと具合が悪いですな・・・。」

 

 背が高い中年の男性担当医は、パソコンと秋一の顔を交互に見渡しながら、歯切れの悪い低い声で語りかけた。

 

 秋一はもしかして自分はがんであるかもしれないと薄々感じていたのであるが、今やがんも手術でなんとかなる時代であり、ここ数年人間ドックを受診していて何も指摘されたことがない。まさか末期がんであるとは考えにくい。何かを言いよどむ担当医師に少し違和感を覚えた秋一であった。

 

 黙って担当医師を見つめる秋一とその背後のパイプ椅子から同じような視線を送るジョージに、初めて聞く病名を告げられた。

 

 「武田さんの場合、スキルス性胃がんです。このパターンは正常組織に染みわたるようにがんが浸潤するわけで、他の通常のがんと違って、かなり発見が難しいところがあるのです。そして発見された時は相当進行しているという悪性種なのです。」

 

 「それって、近々死んでしまうという程に悪い状態なのでしょうか。」

 

 通常のがんとは違う、言いよどむ医師のセリフが心臓の鼓動を早鐘のように変えたわけで真冬に海に落下したかのような気持ちになった。ジョージも唸るような声を上げ、身を乗り出していた。

 

 「手術は難しいですな。これからは病院での治療と抗がん剤治療を怠らないようにしなければなりません。これは非常に言いにくいのですが、どうしましょうか・・・。先にパートナーの方に説明するということにしますか。」

 

 「なんでしょうか。ここでお話しください。」

 

 心臓の鼓動が頂点に達する中、勘の鋭い秋一にはすぐに医師が何を言いたいのか察した。なんとなく部屋に漂う黒く重い雰囲気に辛くなってくる秋一とジョージである。

 

 「武田さんの場合はきわめて危険な状態です。正直命にかかわる状況です。どこまで詳細に伝えるべきなのか・・・。」

 

 やはりだ、秋一の心臓の鼓動は頂点に達し一瞬停止したかのような感じであった。

 

 「すべて詳細にお話しください。」

 

 秋一はきっぱりと言い放った。判事時代の被告人質問に向けた鋭い眼光が復活したかのようであった。

 

 「武田さんの場合はですね、私の見立てでは節制して余命一年ということになります。しかし、同じ病状でありながらがんと闘い続けて五年間生き抜いた方も何人かいるわけですし絶望はしないでください。あくまでも、これは私の見立てであって奇跡は起きるものなのです。」

 

 武田さんの余命は節制して一年、担当医師の口から放たれてしばらく背後のジョージの方が眩暈を起こしベッドに横たわってしまった。

 

 余命宣告というのは判決宣告と違って、なんの法的ルールにしばられるものではなく、担当医師の判断に基づくものである。秋一の担当医師は本人に余命宣告するに際し、パートナーであるジョージを同席させた上で奇跡という言葉を何度も口にした。武田さんは自制心が強いタイプだから、一年で駄目だということはないと思うし、長生きできる可能性がないわけではありません、そんな事を何度も口にするのである。

 

 暗い病室で一人悶々とするのは性に合わないが、余命一年という事実を一人で受け止めることは難しかった。どうしたものか、とりあえず秋一は十二月に入ってから退院し自宅療養に入った。まず調べたのは医師による余命宣告というものであって、その信憑性である。医師によってばらつきがあるのは事実であるが、少なめに言う事が多いようである。しかし、自分のがんの進行状況を考えると節制して一年ではないかとも思え、暗澹たる気分になるのであった。ネット情報などで各種治療を調べ、頑張れば二年以上は生きられるのではないかとも考えた。

 

 余命宣告を少しでも引き延ばすことによって、少しでも死の恐怖を緩和させようと思ったのであるが、いずれにしろ自分の先行きが短い事は事実であって、そう思うと部屋でじっとしていると気が狂いそうになった。一日おきに部屋に顔を出してくれるジョージの存在が緩衝材になってくれたわけで、それがなかったら精神の崩壊の方が先に来ていたかもしれないと思った。

 

 退院してから、彼は散々に悩んだ。自分の人生って何だったのだろうか、一人暗い自室の天井を眺めては悩んで悩んで頭が破裂しそうだった。恐怖をベースとしたいろいろな想いがごった煮のように心で沸き立ち、自室に戻ってからしばらくの間が一番苦しかった。