アメリカ精神医学界が作成している精神疾患の診断基準・統計マニュアルであるDSMー5において、アスペルガー障害という診断名が削除され、代わりに自閉症スペクトラム障害という自閉症の一種グラデーションの中に包摂されたのは2013年のことである。秋一がジョージの内にアスペルガー障害を疑うようになったのは、その二年位前のことであった。数年前から散々に世間の注目を浴びるようになったアスペルガー障害は、ADHD、つまり注意欠陥多動性障害と並んで発達障害の一種類として診断希望者が続出するようになっていた時代である。

 

 秋一がこのような発達障害について知るようになったのは、更に数年前「片付けられない女たち」という女性のADHDに焦点を当てた翻訳本がベストセラーになった頃である。発達障害についての書物が書店の棚を賑わすにつれ、秋一も他の多くの研究者ないし読者と同様はたして自分にもそういう傾向があるのかどうか自己診断するようになった。しかし、彼が少し冷めた目で視たのは、これって殆どの人にある傾向であって、要はその傾向の強弱なのではないかと思ったからである。とりわけ、自分に身近に感じたのは学習障害やADHDではなくアスペルガー障害の方であって、当時はまだ蓄積症例が少なかったという事もあり、その主症状については三つ組みと称されるきわめて単純な説明がなされるに過ぎなかった。社会性の障害、言語コミュケーションの障害、限定された興味関心、こだわりの強さである。

 

 確かに自分はゲイバーをオープンするまで、とにかく大人しく人付き合いを好まないところがあったが、これは後天的なものであることが分かっている。社交や人付き合いができないのではなく、しなかっただけである。少年時代に狭い島の中で自分がゲイであることを知り、それが原因で性格の開放的な部分が失われた。自分を隠し、一歩引いて生きるようになった。今の自分には黙っていても人が周囲に集まってくれるところがあり、それは自然にそうなっただけであり、発達障害とは真逆の位置にあると自己分析していたのである。

 

 しかし、約十五年前に出逢った頃のジョージの顔を思い返してみると、灯台下暗しの感を得るのであった。彼も自分に似て大人しく静かで口数が少ないタイプであった。美形というよりも秋一と同じで人に好かれる魅力的で知的な風貌をした若者であった。表面的なところで自分に似たものを感じた秋一であるが、同時に自分にはない何か途轍もない爆弾のような才能をジョージの純一な瞳に見出したのも事実であった。

 

 少し暗いというか社交があまり得意でないイメージもあり、天然のユーモアはあったが話術やノリで人を笑わせたり楽しませることはできないタイプであった。それは、まだ社会や人を知らない若輩性からくるものであって、磨けば光ると思っていた秋一である。

 

 しかし、今思うのは、その後のジョージの変化なのである。秋一と出逢い、店に入り浸るようになって以降、少しづつ明るく喋るようになった。社交的になったような気がしていた。しかし、今、冷静に考えると、なんとなくアンバランスというか必死に努力しているのが分かるような奇異な言動、つまり人に馬鹿にされるような事ばかり言い出すようになった気がするのである。そして、当時から今にかけて、やたらと他人にぶつかるケースが多すぎる。どうして、明るく振舞い、社交的な人間になろうと努力する人間が、こうまで頻繁に人とぶつかるのだろうか。そして、怒り心頭に達して相手に対する復讐を決意したりする事を繰り返すのだろうか、秋一には理解不能な疑問であった。

 

 いずれにしても、現在ジョージが受診している横浜の大学病院ではだめだと考えた。もっとアスペルガー障害ないし発達障害にも詳しい心療内科を探すべきだと考えたのである。しかし、それらに特化した幾つかの大学病院では当時診断希望者が後を絶たない状態であり、三か月先の予約でも早い方だと言われる状態であった。できれば普通の心療内科であり、発達障害に詳しい先生を探してみようと考えた。主治医はあまり若過ぎても頼りにならないし、年配過ぎると最先端の知識に全くついていけない医師もいるはずだ。散々に苦労して、彼は東京駅八重洲口を出た先のオフィスビルにある高良心療内科クリニックを発見し、ジョージを連れて行くことにしたのである。

 

 二人が歩く道路前方からは陽炎が浮かび上がる晩夏の平日の昼下がりであった。

 

 初日、比較的大きな診察室には五十代半ばであろうか、丸い体型をしたおにぎりのような顔をした高良先生が二人を迎え入れてくれた。高良医師を間近にして、まず秋一とジョージがともに違和感を覚えたのは先生が白衣を着用していない事であった。代わりに、薄いピンクの半袖ワイシャツにペイズリーの瀟洒なネクタイを締めている。服装だけでなく身のこなしや喋り方からも、その太った体躯の特徴を信頼感や包容力といった良きイメージへとアピールしている感じがした。