翌日の日曜日は父の供養の意味も込めて、彼が生前東京では一番のお気に入りだったという地に赴いた。それは浅草寺であり、昔家族四人で花屋敷遊園地に行った思い出もある。まだ風景にスカイツリーが加わる前の時代であり、はとバスツアーの客に混じって、雷門の前で何枚もの生き返った秋一の写真を撮る母と姉であった。それから四人は一年中人だかりが激しい仲見世通りに進み、お参りに向かうのであるが、途中母がポツリと呟いた。

 

 「浅草寺って、私にはよく分からないんだけどね、お父さんが言うに、どんな種類の願い事でも全てが叶うんで有名らしいんだってね。現世利益っていうのかい。」

 

 「商売繁盛とか恋愛成就とか何かに特化しているというわけじゃないんだね。」

 

 浅草寺には詳しくない秋一は適当に相槌を打つのであるが、ふと思った。

 

 六十代も半ばにさしかかった母は疲れたのか腰を曲げて参道脇のベンチに腰掛け、他の三人も歩を止めたのであるが、秋一は腰掛けた母に訊ねた。

 

 「あのさ、全ての願い事が叶うって、最晩年、お父さんが座右の銘にしていた言葉に通じるものがないかい。なんだっけ、百事・・・。」

 

 「百事如意ね。」

 

 横から姉の高い声が響いた。

 

 全ての願い事を叶えるか・・・。

 

 なぜか、秋一の胸中には、幼くして自分の力でも神の力でも叶える事が出来ないものの存在を悟った時の虚無的絶望感が膨れあがったのである。虚無的絶望感が想起されたが、現世と来世とが艶やかに融合するような宝蔵門の建築物を眺めては、なんとなく父からの遺言を聞いたような気がしたのであった。

 

 それから四人は午後遅くに観光名所の一つである、どぜう専門店で昼食をとることにしのであるが、ここにも小学生時代家族で来店した記憶のある秋一であった。

 

 丸鍋を囲む大座敷で、直美が妙な事を口走ったので、秋一は思わずビールが喉に詰まりそうになった。

 

 「アキくん、明日の夜から仕事なんでしょ。アタシさ、一日滞在を延ばすんでアキくんのお店に行ってもいいかしら。」

 

 一瞬黙り込んだのは、やはり家族や幼馴染に自分本来のゲイの姿を見られるのは恥ずかしいからである。そもそもお店ではオネエ言葉を使うことが多くなるわけだし、ゲイの客とのやり取りはやはり直美にはノーマルな世界には映らないと思ったからである。

 

 「あら、直美ちゃん、仕事大丈夫なのかしら。」

 

 母がウーロン茶に口をつけては訊ねた。

 

 なぜか今まで脱いでいた地味なアウターを羽織るや、直美は静かに微笑んだ。

 

 仕事・・・?

 

 そうだ、直美も何か仕事をしているわけなんだけど、孤島で一体何をやっているのかな、あらためて秋一は興味を抱いたのであった。

 

 しかし、直接問うまでもなく、三人の会話が直美の仕事の話に及ぶのを聞いてすぐに理解できた。約十年前に帰島した彼女は町会議員になっていた父の援助を得て実家でピアノ教室を開いたという。しかし、数年後には教室をたたみ、今度は三根で海の見える美容院をオープンして現在に至るわけで、その美容院には母も姉もお世話になっているとのこと。そして、その美容院は島で知り合った彼氏との共同経営であり、彼氏とは何年か前に式を挙げたということを遅まきながらに知った秋一である。

 

 「アハハ。そうか直美ちゃん結婚したんだ。早く教えてくれればよかったのに、それはおめでとう。」

 

 ビールを直美のグラスに注いでは乾杯を促す秋一であり、目尻に愉快なほろ酔いの色を滲ませては、好人物性を際立たすのであった。

 

 「相手は島の人かい。」

 

 「うん、アタシより六歳下なんだけどね。アタシたちと同じ島の高校の後輩よ。高校卒業後、東京に出て修行をつんでね、それから島に帰って来て美容院をオープンしたってわけ。」

 

 「へえ、そりゃいい話だね。俺も将来禿げたら行こうかな。」

 

 「何言ってるのよ、アキくん、酔った?」

 

 会話に夢中になる二人に、母は目を細めてこんなことを口走った。

 

 「アナタたち、兄妹みたいね。」

 

 向かいで姉が右手を当てて微笑む。

 

 「しかし、妙な兄弟だな。結局、俺たち何回別れたと思う?」

 

 「何回なの?」

 

 母と姉がお茶を手にしては耳を傾ける。

 

 「一回目は俺が島を出て大学に進学する時に底土の海岸でね。二回目は彼女が東京の短大に通っていた時代に銀座で再会してね、俺の方から同性愛をカミングアウトした時だったね。そして三回目が約十年前、彼女が東京生活を終えて八丈島へ帰る竹芝桟橋だったかな。」

 

 「そうね、その都度もう会うことはないだろうと思いながら、また再会できるんだから面白いよね。でも、お母さん、それにお姉さん、三度目の竹芝桟橋、最後の東京で見送りに来てくれたのはアキくん一人だけだったんですよ。」

 

 兄妹という言葉を母が使ったのは、そこには男女の肉体関係が最初も今もないことを別な言葉で表現したかったからなのかもしれない。

 

 「今度はいつ別れるのかな。」

 

 からかう姉に皆哄笑した。

 

 翌日の月曜日、久しぶりに風車を開ける秋一は、直美を連れて同伴出勤した。常連客には高校時代の後輩だと紹介したが、皆直美に対して興味の眼差しを向けた。

 

 その後、直美は東京旅行を兼ねて年に二回程風車に顔を出すようになる。