秋一には自分の店を大きくしてやろうという事業欲とか有名になりたいという野心はなかった。将来の夢はただ一つ、風車を未来永劫的に繁盛させることであり、当時少しづつだが使命感のようなものが芽生えてきていた。自分の仕事において使命感を得ることは、その能力を最大限に発揮させる契機になるわけであるが、これは裁判官時代にも肌身に感じるほど明確に自覚できたことではなかった。

 

 人を愉しませたい、人を幸せにしたい、そういう欲望が日増しに燃え上がって来るのであった。実際、バー経営者としても、その潜在的能力が時とともに顕在化してきた。経営手法についての正しい判断能力に加え、何よりも先見の明が素晴らしかった。だから、、十年後、二十年後の風車をいつも考えており、よくジョージと将来について酒を呑みながら語り合った。

 

 当時、携帯電話による出会い系サイトが社会問題化しており、これは同性愛者の世界にも十分に浸透しだしており、このような出逢いこそが、とりわけゲイの世界にあっては主役になるはずだと秋一は語っていた。そうだとすると近い将来新宿二丁目や上野や浅草におけるゲイバーというものの存在意義が変貌するのではないか、つまりそういう場でのアナログ的出逢いというものが時代遅れになり需要は弱まるのではないか。事実、その後、マッチングアプリの登場で秋一の予言は的中することになり、ジョージはその慧眼に驚くのであるが、さらに秋一はそれほど遠くない将来、ゲイの聖地新宿二丁目界隈にあっては生態系が崩れ、最終的には本格的ゲイバーは逃げ出すような状況になるかもしれないとも語っていた。

 

 どういうことか、興味深げに訊ねるジョージに、結局、この街への女性の進出と観光化が一層盛んになり、街全体に変貌をきたすことになるはずだと答える秋一であった。

 

 将来は二丁目に女性専用のホテルのようなものが出来るんじゃないか、これは秋一としても多少大げさに言ったつもりであり、ジョージも思わず失笑したのであるが、令和の時代になりまさかその通りになるとは二人とも当時は夢想だにしなかった。

 

 秋一は早い段階から、ジョージに対して、女性客に対する扱いについて悩みを告げていた。秋一も他のゲイバーマスター同様女性客の来店は本来嬉しいものではなかったし、それだったらノンケの男性客の方が夢があって歓迎した。コミカル系のオカマバーともショーパブとも違って、お客の対象をゲイとするのが本来のゲイバーの姿なのであるから、当時は女性立入禁止の店もあったし、女性料金として上乗せする店もあった。土日は女性禁止という店も多かった。

 

 しかし、これではいつか経営が破綻しかねないと秋一は既にして悟っていた。不況下にもかかわらず、女性客やビアンの客がどんどん増えていく。そして観光客や珍しい地を見物するつもりの普通の一見客も増えているような気がしていた。事実、令和の時代にあっては観光客用のオカマバーが誕生して人気を博しているのであるから、ジョージは今になって秋一の先見の明にただ驚くばかりなのである。

 

 将来的ビジョンとして、秋一は他のゲイバー経営者よりも十年は早く発想を変えようとしていた。

 

 ビアンの客は別として、なぜ普通の女性客はゲイやオカマの店が好きなのかな、そして何を求めているのかな、秋一はよく考えてみた。昔から社会の裏側を見続けてきた秋一は、オカマバーが女性に人気があることは知悉していた。しかし、ゲイバー、とりわけ自分のような静かなタイプの店はどうなんだろうか。

 

 これはかなり秋一の偏見が入っているのだが、ホストクラブへ通う女性よりもゲイバーに通う女性の方が平均して知能指数が二十は高いような気がしていた。

 

 男を求めないからこそやって来る女たちであるのは分かる。

 

 やはり男でもなく女でもなく、第三の道を歩む自分のような存在が面白いのかもしれない。

 

 真夏の夜、店内でこんなことがあった。

 

 早い時間帯であったせいか、カウンターにはジョージと常連客のユリちゃんしかいなかったのであるが、突然彼女が店内でTシャツを着替えだしたことがあった。わざとなのかどうかは分からなかったが、ブラジャーを外し豊満な白い乳房が見えたのであるが、秋一は勿論のこと、ジョージもまったく関心を示さず、ちらりと一瞥しただけでまったく見向きもしなかった。なぜだか、ユリちゃんは上機嫌だったのを覚えている。

 

 その時のユリちゃんの笑顔を見て、秋一はふと気づいた。将来、こういう無防備を愉しむ女性を目当てにした男性たちが界隈に出没しだすのではないだろうか。将来的な生態系の変化にはこういうこともあると考えた。しかし、平和な二丁目にとってそれは危険な話であり、少なくともそういう男性客よりは足繁く自分に会いに来てくれる女性客の方がずっと大事であり、可愛い存在だということを悟ったのである。

 

 それ以来、秋一はゲイに対するのと同様女性客を大事に扱うようになり、客としての両者に一切の差をつけなくなったのは経営戦略に加えて感情的なものもあったのである。

 

 美貌だとか社会体ステータスで女性を判断することは決してなく、自分に会いに来てくれる女性には誠心誠意接した。全体的に女性からみると秋一は見た目も性情きわめて優しく万事においてお洒落であった。

 

 その天性の優しさと春風駘蕩な風貌、そして黙っていても伝わる只者ならざる知性の極みが一部の女性たちを熱中させた。当時、出版社に勤めていた涼子が秋一と出逢ったのもその頃である。

 

 風車をオープンして六年目になると、ゲイバーなのに客層はゲイと女性の半分位になっていた。日によっては女性客やビアンの客の数が少し上回ることもあった。ゲイよりも女にモテるんじゃないのか、秋一にはあまり嬉しくない噂も耳に入ってきたが、売り上げは益々伸びた。

 

 秋一はとりたてて美青年ではない。美青年ではないが、こんなに女にモテるゲイは初めて見たと唸ったのは、当時常連客が連れてきてくれた日本でも指折りに有名なお笑い芸人S田氏であり、S田氏は同時に秋一を評して天性のユーモア人だと称え、最後までお忍びで風車に顔を出してくれるようになる。

 

 六年目位から収入が激増し、S田氏にそのユーモアを称えられるほどに成長した秋一であり、絶好調の時を迎えていた。