病院の屋上もすっかり日が暮れて、夕飯に近い時間帯になったが、秋一には基本的に懐古趣味はない。ここまで人生の来し方を思い懐かしんでは涼子に話して聞かせたのは、やはりゲイバーをオープンして二十年目、厳密には二十三年目であるが、その記念式典の話に及んだからであり、走り続けた人生の一区切りとして簡単な自叙伝を涼子に相談して作ろうと思ったからである。

 

 先月、入院中に五十五歳の誕生日を迎えた彼であり、できれば来年の初夏には新宿高層ビルの宴会場を使って二十四周年の記念パーティーを執り行いたいと真剣に考えだしていた。

 

 「でも、アキさん、血の滲む努力で築き上げた法律家の地位を辞すのに、まったく抵抗はなかったの?」

 

 「なかったわね、今でもないよ。」

 

 自販機で購入したミルクティを車椅子の上で啜っては、秋一は一瞬遠くを見つめた。

 

 街の灯が燎原の火となる瞬間のような時間帯であり、晩秋の寒さが肌身に染みてきたので、最後、涼子を見送りがてら階下の喫煙室に移動することにした。

 

 喫煙室は意外とスペースが広く、中央でトランプゲームに興じている入院患者グループが数人いたが、他に喫煙者は見つからず、二人は奥の壁取り付け式ベンチに腰掛けた。

 

 あいつら金賭けてるな、おそらく入院中喫煙室で親しくなったのであろう患者グループを秋一は一瞥するや、苦笑した。

 

 「でも、アキさん、それだけの地位を捨ててゲイバーをオープンしたんだから両親や周囲の人が黙っていなかったんじゃないの?それに官舎にも住めなくなったわけだし、お金はどうしていたの?」

 

 涼子自身、数年前に脱サラして飲食店をオープンした身であるだけに、その頃の秋一の生活に興味は尽きないようであった。 

 

 秋一は、療養中の身、煙草をくわえるわけにもいかずスモーカーである涼子に一服やるよう勧めた。やがて彼女がくゆらせる紫煙を見出し、その白い煙の中に、少し目に染みる転職当初の思い出がたゆたう。

 

 四月に勝手に裁判所を退職した際、林崎部長は武田に裏切られたと吐いて捨てては激高したと聞いているが、それよりも秋一は両親と姉夫婦にしばらく事実を告げることができなかった。

 

 官舎を追い出されて以降、一時、家族や旧友との連絡を絶ったのであるが、やはり最低限のモラルは守るべきだと思った。両親あてに、今までの経緯と今後はゲイとして伸び伸びと生きていきたいこと、そして第二の人生として料理人としての大成を決意したということを書き綴った。今まで育ててくれたことへの感謝と勝手な我儘を詫びると同時に、五年間は自分を探さないでくれ、五年あれば成功の目途も経つはずで、こちらから必ず会いに行くからそれまで待ってほしいという内容の手紙を何度かに分けて送ったのである。

 

 父親は激高したという。島中では、あっという間に秋一に関する最悪の噂が立ち上がった。秋一がいつまでたっても結婚しなかったのは実はホモセクシャルだったからであり、更に法哲学の勉強のし過ぎで脳に異変をきたし職場を首になった。精神科閉鎖病棟で生活しているらしいという噂が定番になったが、秋一は少しだけの修行期間を経たら故郷に顔を出すつもりで以前と同様の親子関係を再築したいと願っていた。

 

 代々木に借りたワンルームマンションに棲息しながら、「風車~AKI~」というバーをオープンしたわけであるが、最初の一年間は本当に辛かった。秋一の場合、隠し通した性癖ゆえ過去の人脈を使うことが出来ず、その後も付き合いがあったのは三重野主任書記官と大学時代の恩師でもある奇人水上達夫博士だけであった。この二人は時々忘れた頃に店に顔を出してくれたのであるが、やはりこの二人から人脈を広げることはできなかった。

 

 花屋敷や黒猫のママは休みの日には顔を出しては、いろいろとアドバイスをくれたのであるが、秋一が一番愕然としたのは当時一緒に遊んでいたゲイ仲間や吞み仲間たちが意外にも来店してくれなかったことである。客として一番期待していた仲間達であり、十人近くは常連客になってくれそこから更に客筋を広げる目論見だったのであるが、結局、常連客になってくれたのは二人の同年代のゲイだけであった。

 

 ただオープン当初からその後秋一が店をたたむまでずっと店を支えてくれた二人の常連客との出逢いは印象的であった。一人はオープンの噂をどこかで聞きつけては、その後平日の夜は毎晩通ってくれるようになった女性客である。秋一より少し歳上だとのことであるが、近場でOLをしているということ以外は一切が謎に包まれたユリちゃんと呼ばれる美女であった。いつも開店時から一人ビールとカクテルを呑んでは、秋一と他愛ないお喋りを愉しんでは早くに帰っていく。そして、もう一人の客がその後秋一最後の恋人となり、自治体における同性パートナー認定制度の相手となるジョージこと高橋譲二だったのである。ジョージは当時二十歳になったばかりの都内一流大学経済学部の大学生であった。

 

 二人とも毎晩のように通ってくれるが、他に客を連れてきてくれることもなく終電車前には帰っていく。夜の八時から翌朝五時までを営業時間にしたのであるが、深夜零時以降はそれでも少しだけ賑わった。一見客や古くからの遊び仲間が口コミで紹介してくれるわけであるが、開店して半年も経たないうちに秋一はもう駄目だと思った。