一年間は早かった。いつの間にか夏は思い出の色に変わり、秋が過ぎ冬が来て正月明けの時節となった。東京での大学受験日程が近づいていたが、正直、秋一は自信がなかった。両親は彼が勉強すればするほど、期待してはくれたが、その期待に応えられるかどうか不安だった。

 

 確かに義人の影響で高校の途中から突然変異のように受験勉強に専念はしたが、それは島民ならば誰でも進学できる島の高校の水準に比しての話である。今までに全く机に向かったことなどなかった彼がどこであれ東京の大学法学部に進学するのには後一年間が必要であった。

 

 一年で一番寒い時期、二月の下旬、秋一は受験した三校すべてに不合格となった。

 

 なぜか、あまり悔しくなかった。父の三郎は後一年ならば浪人してもよいと言ってくれているし、今年は選り好みして三校しか受験しなかったが、来年は手あたり次第十校位受験すればどこかにひっかかるはずだという確信があった。

 

 自分よりも彼女である直美や彼の父である東京赴任中の中島先生の方が悲しんでくれた。

 

 秋一の人生観を一変させるような衝撃的事件が起きたのは、浪人が決定した翌日の金曜日の晩である。

 

 卒業式の数日前、いつものように家族との夕飯を終えると、義人の声が聞きたく表通りに出て緑の公衆電話に向かおうとしたのであるが、丁度玄関口を出るところで、母の甲高い声が耳につんざいた。

 

 「アキ、電話だよ。桜井さんから。」

 

 えっ?

 

 義人の方から自宅に電話がかかってくることなんて滅多にない事だけに、訝しんだ秋一であるが、母は桜井と聞き、それがいつもお世話になっている恩人だと気づき、神妙な顔で受話器を渡すのであった。

 

 「あっ、もしもし僕だけど。」

 

 「ああ、アキくん、受験の結果は残念だったね。でも来年は絶対に大丈夫だと、私はみているよ。」

 

 そこで、義人は軽く咳払いしては声を低め、こんなことを言い出したのである。

 

 「あのさ、今まで黙っていてごめんね。受験に影響があると思って言えなかったんだけど、私、四月一日付で東京地裁に戻ることが決まったんだ。長い間、お世話になったね。何と言っていいか・・・。」

 

 受話器の向こうで感極まっているのが分かる。

 

 秋一は一瞬何を言っているのか、言葉の意味が理解できなかったが、冷静さを取り戻した義人の説明を聞くうち、少しづつ意識が遠のくような気分になってきた。

 

 丁度二年間の任務を終え、三月三十一日を八丈島簡易裁判所から元の職場である東京地裁に異動になったことが発表された。三月三十一日に島内の関係各所に最後の挨拶をすませ、四月一日の朝、底土港を一人発つという。だから、秋一に会えるのはもう三週間を切ってしまったという。来週の日曜日、二人で最後のお別れパーティーをしよう。そして四月一日は朝早くに出発するし、船での別れは辛くなるので誰にも見送りには来てもらわないことにしている。もし、最後に会ってくれるのならば前日の三十一日の夜、役所においてにして欲しいとのことであった。

 

 後一年間の浪人生活、義人がいなくなってしまったら自分はどうやって乗り越えていけるというのだろうか。暗澹たる気分で玄関の靴箱上に設置されたダイヤル式の黒電話の前で呆然とする秋一であり、母が心配そうに後ろから覗き込んでいた。