2023/4/29

 

コロナ過を除いては、毎年恒例となる全日本柔道選手権大会が日本武道館で開催された。

 

初戦から非常に見ごたえのある試合が多く、一日を通して満足の試合であった。

 

優勝した王子谷剛志

井上康生監督のもと、重量級のコーチとしてスタートした時に一緒に戦った一人。

世界チャンピオンにはなれなかったが、自身の武器である突進力と器用さとを使って、海外選手とも戦ってきた。

今回の優勝は自分では奇跡と言っているようだが、王子谷剛志に勝つことは容易ではない。

優勝の可能性はあると思っていた。

素晴らしい戦いでした。  おめでとう。

 

 

2位の羽賀龍之介

32歳という年齢で身体に鞭を打ちながら戦う姿にたくさんの人が魅了され、感動したと思います。

2014年の世界選手権-100kg派遣無しの際に悔しい思いをし、2015年の世界選手権大会で金メダルを獲得。

俺はコーチとして、優勝が決まったあと、不覚にも泣いてしまった。

嬉しいという事も一つの要因かもしれないが、龍之介の意地を見ることができたことがうれしかった。

勝てば誰でも代表になれる階級という、低いレベルの位置にいた―100の存在を世界一に引き上げてくれたことが。

俺自身も―100で戦ってきた。-100で金メダルというこだわりも持っていた。

その、自分が守っていきたかった階級の意地を見せてくれた。

泣けてきたね。

 

全日本選手権2位。

おめでとうという言葉が適切かはわからないので、お疲れさまでした。と言っておきます。

鈴木家長男と同じ誕生日。

息子の誕生日が来れば嫌でも龍之介を思い出すし、2014・2015のことも思い出します。

悔しかったなぁ。うれしかったなぁ。

コンディションを整えて、まだまだ畳の上で戦う龍之介を期待しています。

 

 

 

七戸龍

初めて対戦したのが、全日本選手権の舞台。

九州予選で高井を内股で投げた!という事から、龍の成長が始まったように思う。

龍が高校生の時に沖縄までスカウトに行きました。

国士舘には来てもらえなかったけど、龍の成長は本当に脅威だし、必ず日本代表になるな!という存在でした。

たしか、全日本の合宿を沖縄でやってその時に俺と稽古したよね?おれ、投げれなかったような思い出があるんだけど。

あいつ強いな!って。その時は高校1年くらいだったかな?

 

強化選手になって、拠点を東京に移すってことになって。

東海大学には王子谷。日本大学には原沢。国士舘に七戸。そんな重量級の勢力図だったかな。

当時の国士舘は強くないし、重量級の層も薄くて練習環境としても大丈夫かな?って不安もあったけど、龍はしっかりと成長してくれました。

日本代表としてGSパリに出たとき。

リネールと初対戦。7秒で一本負けだったよね。

それがスタート。

 

そのリネールと世界選手権の決勝で戦うことになるとはね。

しかも2回も。

龍はロンドン五輪後に井上監督から重量級担当の俺に託された、重量級再建の特攻隊長として本当に頑張ってくれました。

王子谷も原沢も、龍の存在なしにはここまで成長できたかどうか。

龍の苦労が重量級の再建の大きなきっかけになりました。

 

まだまだ、重量級の再建は続くけど、ロンドン後よりは明らかに成長してます。

一線を退くという話を聞いてます。

本当にお疲れ様でした。ありがとう。

 

 

 

全日本柔道選手権大会

来年はどんなドラマが待っているのか。