ネットに弱い店主です。

NHKの新番組『令和ネット論』は、

一つ一つが実感をともなう驚きでした。



 実感?

 驚いたんじゃないの?

 いや、

 SFの世界では先取りしてるからさ。

 なにごともイメージから生まれる。




今、

思っていますのは、

以下の世界『メタバース』の先にある肉体です。

NFTはデジタルデータのオリジナルを証明するテクノロジー。デジタル世界の作品が商品となる道は獣道から片側三車線くらいに広がっています。


さて

左は3次元の仮想空間メタバースを舞台とする映画の映像です。
VRゴーグルを装着し、
仮想空間を自由に動き回る。
その空間が、
ゲームやイベントといった趣味の領域から、
人生を展開する場となっていく令和です。


リアルはたいそう不自由です。

結婚や出産についての考え方は大きく変わりました。

人は絆で結ばれますが、

それは枷にもなります。

他人と空間を共にすることは己を抑制することを伴いますから。



こちらは男性の方で、
昼間は働いておられるそうです。


この仮想空間は、
プライベートを過ごす場です。
そこには濃密なコミュニケーションも出会いもあります。
生きている実感は十二分にあります。


そして、
大事なのは、
主体としての自分を、
なりたい自分に設定できることです。



ですから、
昼間の時間は人生ではないと言えるのかもしれません。



完全にここ『仮想空間』で人生を送っているとおっしゃいます。


それを、
どうとらえるか。
IT批評家 尾原和啓さんが語ります。



リアルからの逃走ではない。
選択する段階にいたっているのだと、
迫ってくるものがありました。



で、

店主は部屋にある肉体を思っています。



家族もしくは家庭



その人生に、

リアルでの絆は不要です。

ですが、

実際には、

部屋に残る肉体に、

たいそうな縛りがかかる場合があります。


そこに子供がいるときです。


赤ちゃんであれば、

肉体を生かしておくためには、

24時間目を離すことはできません。

おむつを替えることも、

ミルクを飲ませることも、

仮想空間ではできないことです。



若い世代が、

結婚や出産に対して、

あまり積極的ではなくなりつつある。

子供を育てにくい社会であることも重要な課題ですが、

他人と関わる不自由を嫌うことも、

大きな要因ではないかと、

常々思っています。




選択できるなら、

なりたい自分になり、

自由に暮らしたい。


この番組を拝見しての一番の感想は、

それを簡単に実現できる時代になったんだなということです。


家族もしくは家庭という単位が、

子供を育てる場としては、

かつてほど強固なものではなくなっている。

そんなことを思いました。




愛はどうなる?

家庭を維持するのは愛だと言いたいところですが、

形而上学的な話ではなく、

リアルな話とするなら、

子供を育てる上での社会のシステムが大きい。

また、

そのシステムは、

親子の情に頼るところ大ですから、

子供を望み、

自ら育てたいと願う思いが希薄になると、

根底から揺らぎます。


愛や情は、

必ずしも人に向かうものではない。

アイザック・アシモフの『黒後家蜘蛛の会』の『家庭人』から、

探偵役をつとめるウェイター、

ヘンリーの謎解きの一部をお借りします。



「あなたは、

 あまりにも家庭人でいらっしゃいます。

 情というものを、

 あなたは人と人のこととしかお考えになっていらっしゃいません。

 かく申すわたくしも、

 家庭こそ持ってはおりませんが、

 情というものが、

 もっと広いものであることを承知いたしております。」


なかなか実感をもってとはいきませんが、

ヘンリーは常に正しく像をとらえます。

家族や家庭が、

誰もから選択されるものではないことは、

数字が物語っているとも言える現代日本社会です。



教育なんですが……

出産にも、

育児にも、

変革がやってきそうだなと思いつつ、

店主は教育を思いました。


学力について、

二極化していると語られるようになって久しいです。

それは、

さらに加速するかも。

そんなことを思いました。




仮想空間に暮らすユーザーになるには、

さしたる教育は不要でしょう。

一方、

その空間を構築し、

維持し、

進化させていくには、

並々ならぬ教育が必要となりそうです。


こちらについては、

同じアシモフのSF作品「プロフェッション」を思いました。



竹宮惠子さんの「地球へ」の〝目覚めの日〟にも似た〝教育の日〟を経て、

子供達はそれぞれの道に必要な知識を与えられ、

振り分けられます。

でも、

そのシステムを作り出す存在が必要。


そのために教育を受けるごく少数の若者の、

独創性であったり、

強い意志であったりする片鱗をもつことのもたらす覚醒までの道のりを描いた作品です。


「地球へ」では、

人間以上の位置にコンピューターがいます。

AIを思いますと、

システムとしては、

こちら寄りの未来があるのかも、

などと考える。


あるいは、

マトリックスですね。



そのイメージは大変近い。


 結論は出ません。

 様々思い描いても、

 どんな未来に進んでいくかは、

 現在進行中の絶え間ない選択の先にあることです。



 とりあえず、

 店主自身は、

 リアルを脱ぎ捨てるには、

 いささか年をとりすぎました。


 もちろん、

 ブログを書いているについては、

 書くという趣味の部分以外に、

 自分の思いだけで構築する場をもつ

 解放感がございます。


 解放感はあるけれど、

 うーん、

 毎日が日曜日みたいに常時になると、

 居心地が悪くなりそう。


 年を経ますと、

 自分なりに築いてきたものが、

 重たくもありますが、

 安心でもあるのです。

令和のネット世界、

はしっこで書きながら、

今を思っていきたいと思います。



画像はお借りしました。

ありがとうございます。