黒猫物語 おまけ 阻止せよ
NEW! 2016-09-06 07:15:38
テーマ:クロネコ物語
この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。
花に囲まれた洋館に
鳴り響く。
武骨な手が
おずおずとリビングのテーブルに
伸びる。
液晶画面に浮かぶ
〝天宮補佐〟
の
表示に
その手は止まる。
人影のない
ガランとした室内を
男は
虚しく見回した。
呼び出し音は
いつまでも出ない男を
詰るように
鳴り止まない。
男の顔色は
着信音の開始から
着々と
色を失いつつあった。
20コールを超えた。
男は
魅入られたように
テーブルにあり
ビリビリと震えながら鳴り続ける〝それ〟を
見詰める。
もはや
男の目に
〝それ〟は命をもっているかに
見えているらしい。
申し訳ありません
申し訳ありません
申し訳ありません
…………………………。
呪文のように
唇から洩れる言葉に
男の苦悩が滲む。
30コールを超えた。
留守電に切り替わるかとの祈りは
叶えられそうにない。
どうやら
それは意識して切られている。
着信音は容赦なく響く。
青黒かった顔は
黒みすら薄れていく。
紙のように白いといかないのは
日焼けのため
致し方ない。
男は
〝それ〟
の
向こう側を知り抜いていた。
分かっておいでだ
分かっておいでだ
俺がいると
ご存知なんだ………………。
おそらくは
この着信音が
聴こえているであろう書斎の方向に
何とも言えぬ
悲哀に満ちた一瞥を送り、
男は姿勢を正した。
〝それ〟
の
向こうの人物に対するためには
足を踏ん張り
腹に力を入れなければ
ならないらしい。
男は
ついに
テーブル上のスマホを
手にし〝応答する〟に
震える指を触れた。
「あ、あの」
「伊東さんですね?」
慈愛に満ちた声が
伊東の耳に
響く。
「申し訳ありません!」
伊東は
スマホを耳に当てたまま
90度に体を折った。
「ご苦労様です。
伊東さんには
ご心労をお掛けします。」
補佐の声は
慈母観音さながらとなる。
「はっ
到着予定時刻までには
ご連絡なさるおつもりでは
いらっしゃったと
思います。」
伊東は
目の端に
時計を捉えながら
答えた。
「そうですね。
まだ10時ですもの。
分かっております。
まだ花の家ですね。」
「はい。
申し訳ありません。
仕事なさると仰有られて……。」
「なさってるのは
分かってます。
こちらのPCに入られてますから。
決裁がどんどん進んでます。
それで
まだそちらにおいでだと分かったんです。
まあ仕事の速いこと。
そろそろ昨日分の決裁が終わるようです。」
伊東の顔が心なしか緩み、
ほっと小さく息を吐いた。
仕事は
なさっている。
本当になさっている。
「あら…………。」
補佐の声が異変を伝えた。
総帥に代わってください。」
慈母観音は慈母観音。声は温かさを増していく。
「あ、あの……。」
人の子は口ごもる。
「そこに、
まだおいでかどうかを
知りたいのです。」
人の子の痛みなど
天界から見たら
如何ばかりのものでもない。
「は、はい!」
伊東は、
ゆっくりと向きを変えた。
リビングの床を一歩ずつ踏み締めて歩く。
書斎のドアは
次第に大きさを増す。
ドアの意匠は植物か。
くるんと巻いた茎
デフォルメされた花弁が
シンメトリーに配置されている。
飴色に沈む
細かな細工
気付きもしなかったドアの全容が
伊東の前に
壁となって迫ってくる。
ついに
聳え立つ壁は
目の前となった。
慈母観音はカーリーでもあり
その決定は人の抗えるものではない。
自分の手が機械的に上がるのを
不思議なものを見るように伊東は眺めていた。
トン トン トン
小さな小さなノックが、
がらんどうの室内にやけに大きく響いた。
「ノックしました。」
「開けなさい」
「し、しかし……」
「開けなさい」
慈母観音の
慈悲深くも凛とした声が降り注ぐ。
伊東は
目を瞑り
一気にドアを開けた。
伊東!!
幻の一喝は幻のままに消えた。
何の音もしない。
いや、
サワサワと
枝を揺らす風の囁きが
穏やかに伊東を包んでいた。
ゆっくりと目を開いた。
窓が…………
窓が開いている。
レースのカーテンが
優しくはためく。
総帥はいない。
書斎のデスクに
文鎮で押さえられた便箋が
ハタハタと
もの言いたげに
伊東を呼んでいた。
力強い字だ。
チーフの字だ。
伊東は
黙って上司の指示を
頭に入れた。
頭に入れ、
補佐に報告した。
「総帥は
警護のテストを
なさるそうです。
校内に入る前に
阻止できるか
やらせてみるように
と
ご指示いただきました。」
「分かりました。
総帥の本日の執務は
先ほど終わられましたので、
こちらは
構いません。
伊東さん
指揮を執られますか?」
「……はい。
全力で当たります。」
「あ、
西原は省きなさい。
あの子は研修中です。
…………伊東さん
モニターご覧になっていますか?」
「いえ、
アパートにおりませんので。」
「そうですか。
総帥は
仕事を終えて
確認されたかもしれません。
西原が
高遠さんから
瑞月を取り上げてました。
抱っこして。」
「抱っこ…………。」
「研修は研修。
西原は学校に置きます。
瑞月には勉強になります。
これから
外に出せば
山ほど求愛者は現れます。
屋敷の者なら
歯止めが効くでしょう。
とりあえず
西原には
訓練のことは
伏せておきなさい。」
侵入阻止…………。
抱っこを見た総帥の侵入を
………………阻止するのか。
精鋭部隊を二班揃えてある。
できるか
できるだろうか
手にしたスマホが
再び鳴り響く。
「はい!
チーフ!」
伊東は
きびきびと応えた。
〝訓練中の緊急連絡は
ここに寄越せ。
学校関係者に悟られずに動くよう指示しろ。
俺もそうする。
俺は最後に保護者として教室にはいる。
そこで訓練終了だ。
午後2時までに俺を止めてみせろ。〟
通話は終わった。
伊東はインカムを装着した。
「総員通達、
総員通達、
現在時刻1030をもって
訓練を開始する。
瑞月さんを狙って
学校に侵入を図る者が現れる。
学校関係者に悟られずに
侵入を阻止しろ。
配置につけ。
侵入役は総帥がなさる。
総帥を止められたら
賞与を約束する。」
ああ
労災申請の準備も
必要かもしれない。
西原…………可哀想に。
画像はお借りしました。
ありがとうございます。
