せめて地震発生の時刻に祈りをと、

出勤前に祈りをことばに託して予約投稿して出勤しました。

今日 何を記事にと考えながら 「つなみ」を読み返しています。






ジャーナリストである森健さんは、

地域ごとに子供達の作文をそのまま掲載した上で、

最後に、

その日に起きたことを、

ご自身の文章にまとめておられます。

森さんのまとめの書き出しです。


高田小学校は、ある被災者が「ゴジラに踏み潰されたみてえなもんだ」と呟いた市街地の惨状を見渡せるほどの高台にある。

にもかかわらず、二時四十六分で止まったままの時計がかかった校舎の壁には、

二階近い高さに、黒々とした津波の痕跡が残っていた。



痕跡の語る津波の高さは、

陸前高田では15・8Mに及んだといいます。

森さんが構築したのは、

刻々と進む津波発生前後の出来事に、

子供達の言葉を重ねて重層的に再構成されたあの日のその地です。


つなみを語る当時小学六年生の少年の言葉です。


とつぜん、

海のほうから、

砂ぼこりになって、

だんだん近づいてきます。

私たちは、先生とともに、高台に走っていきました。

高台に逃げていくとき、

うしろ見たら、

津波が家や車などをのみこんでいきました。

私はひっしで、高台につきました。

高台ではひび割れがひどくて、

いまにも、こわれそうでした。

たくさんの人が町のほうをみて、

あれが高田なのか、という顔で見ていたり、

泣いていたりしました。



なぜ、

子供達は語ったのか。

陸前高田を語る作文の最後、

中学校1年生の少女の言葉は、

多くの子供達が語った思いです。


「今だから思うこと……それは、

 全国、

 世界のみんなに伝えたいということです。

 震災のことを一生忘れないでください

 今でも、

 一生懸命、

 がんばっている人がいます。

 みなさんもその一人です。

 被災した方にエールを送っていただlくだけでも、

 とてもうれしいです。

 なのでこれからも、

 応援よろしくお願いします!!」



忘れないで。

忘れないでください。

子供達は繰り返しました。


だから、

忘れません。

そして、約束します。




いつか老いて、

様々を覚えていられなくなる日が来るまで、

店主は地震の震災の記憶を語り、

「つなみ」を語り、

「Pray for Japan」を語り、

誰かに思いを残していきます。

震災を知る世代の一人として

少しでも継承に繋がることができますように。



画像はお借りしました。

ありがとうございます。