米倉斉加年さんの
「大人になれなかった弟たちに……」。

その弟の死から最後までを
読ませていただきました。
最初にお詫びしますのは、
文章の抜粋で読ませていただいたことです。
そして早口の朗読であることです。

削りました。
削らなければ
早口になってしまうと
文章を
一生懸命追うのですが、
削ることもでききりませんでした。




「病名はありません。
 栄養失調です…………。」
「ぼくは
 ひもじかったことと
 弟の死は
 一生忘れません」

米倉さんの怒りを感じます。


そして、
三人で歩く道を
どうしても削れませんでした。





十日間くらい入院したでしょうか
ヒロユキは死にました。
暗い電気の下で、
小さな小さな口に綿にふくませた水を飲ませた夜を、
僕は忘れられません。
泣きもせず、
弟は静かに息をひきとりました。
母と僕に見守られて、
弟は死にました。
病名はありません。
栄養失調です………。

死んだ弟を母がおんぶして、
僕は片手にやかん、
そして片手にヒロユキの身の回りのものを入れた小さなふろしき包みを持って、
家に帰りました。

白い乾いた一本道を、
三人で山の村に向かって歩き続けました。


空は高く高く青く澄んでいました。
ブウーンブウーンという B 29の独特のエンジンの音がして、
キラッキラッと機体が美しく輝いています。
道にも畑にも、
人影はありませんでした。
歩いてるのは三人だけです。

家では祖母と妹が、
泣いて待っていました。
部屋を貸してくださっていた農家のおじいさんが、
杉板を削って小さな小さな棺を作っていてくださいました。
弟はその小さな小さな棺に、
母と僕の手で寝かされました。
小さな弟でしたが、
棺が小さすぎて入りませんでした。


母が、
大きくなっていたんだね、
とヒロユキのひざを曲げて棺に入れました。
そのとき、
母は初めて泣きました。

弟が死んで九日後の八月六日に、
ジロシマに原子爆弾が落とされました。
その三日後にナガサキに。
そして、
六日たった一九四五年八月十五日に戦争は終わりました。
僕はひもじかったことと、
弟の死は一生忘れません。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。




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