さて、
帰宅してしまう前に、
書いてしまわなくちゃ。


⭐芥正彦さんVS三島由紀夫さん



冒頭に続く時代を語る様々を見ながら、
その時に十歳だった自分を思いました。
ニュースの意味は遠かった。



そして、
この論争にも、
そのとき何歳だったのか、
そのとき何を経験したのかを重ねている自分がおりました。






映画から台詞をうろ覚えに引用は
まことに非礼なのですが、
芥正彦さんが
三島由紀夫さんとの共通項として
〝敵〟を上げておられました。


〝曖昧で猥褻な日本〟

ああ、
思いました。


それを
幾つかの戦後文学に後追いしては感じ、
感じてはずっしりと重くなっていました。


その重さが
1969年には革命でも起きるのか!?
一つの突破口を求めて燃え上がっていたのだろうか。
などと思いました。



そのエネルギーを見定めようと、
竹宮惠子さんは1年間
デビューしたばかりの少女漫画を離れ、
最終的に〝私の革命は少女漫画でする〟と決意された。
少なくとも立ち止まり見定める一年間をもたれたほどに、
凄まじい熱量だったのだろうと思います。



芥さんとのやり取り、
知的論争の面白さを楽しませていただきました。
それは興味深いものでした。
知的なものですからユーモアもその武器でございます。
ボクシング観戦のワクワク、
ですが、
どちらが勝った負けたとなるものを見ている感じはしません。


見てきたものが違う、
ということなんだな…………と感じた瞬間があり、
そこに店主の納得は定まりました。


    天皇が意味するものは日本。
    そして、
    今の姿には満足していない。


三島さんが日本を語られたとき、
芥さんはご自分は日本人ではないと返された。
そして、
三島さんは自分は日本人であることから離れる気はないと仰有る。



腑に落ちる、
といいますか、
コトンと一つ納得しました。



日本人であることに誇りをもつ困難は、
文学に敗戦を後追いをする身にも
リアルに迫るものがあったからです。

この時代に生まれ、
世界に広がる抵抗のうねりを感じて
青年期を生きたなら、
何に頭を上げられたかなと思いますと、
それまでの全てから解き放たれた空間を打ち立てるときだったかも、
思いました。



で、
今でございます。
50年が経ちました。
店主は
思想的には空白を享受した世代でございます。

何が素敵か、
何にドキドキするか、
少女漫画の変革期と共に十代後半からを生きてきました。



日本、
美しいと感じます。
その伝統の様々を、
自然を。


うーん。
人に象徴されるものではない、
古代から連綿と続いてきたこの国にある日本。
それを掬いあげては愛でる。


コロナウィルス蔓延の今、
別の意味で喪われつつある感もなきにしもあらずではございますが、
日本という場に宿る美を誇りに思うと同時に、
それを平和へと繋げていく在り方はできないかな、
思います。


さて、
スーパーの駐車場で大雨です。
書いてる間に
さっさと買い物を済ませるべきでございました。


ずぶ濡れだな…………。


今から買い物です。
帰りましたら
さくさく趣味に没頭し、
叶うなら投稿いたしましょう。

短いかも。
かなり短いかも。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。



人気ブログランキング