この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




伊東は久しぶりのライダースーツになる。
チーフを西原に譲って僅かに一ヶ月がひどく長く感じる。
常に先駆けとしんがりを務めた前任者、佐賀海斗に心酔している者は
みな現場を愛している。


 総帥は
 今も先駆けとしんがりを
 お譲りにならない‥‥‥‥佐賀海斗ここにあり!だな


副官の勤めは指揮官の決断に迷わず付いていくことだ。
口数が少ない海斗の動きにそれを読み、
その先を支えるための手を次々と打っていく。

指揮官が佐賀海斗であるとき、
一瞬一瞬が快い緊張の内にあったものだ。



「どう動くか読めないからな」

ライダースーツを投げて寄越す海斗は
不敵に笑う。

「はい
 作田さんは帰路は車があります。
 西原のために足を運んでやります。」


スーツ姿の作田にヘルメットを渡し
綾周にはメットに加えてニットの上にジャケットを羽織らせる。




「あの‥‥‥‥どうやって‥‥‥‥?」

綾周は
同じ線の細さをもっていても瑞月とは違う。
コーナーでぴったりと合わせて重心を下げていくしなやかな体は
綾周にはない。

胸に組んだ手は戸惑いだけではない。
怖いのだ。
怖くて、でも魅せられていた。
その眸が真ん丸になるのを作田が切なげに見詰めている。




 綾周を心配しておいでだ
 初めてにちがいないし、
 ‥‥‥‥葦がどう出るか分からないからな‥‥‥‥。


海斗は
作田の顔に浮かぶ憐憫の色をそう考える。
心配は正解だ。
主たる理由はこの場合違うが、
幸い綾周は幼くて気づいていないし
海斗は鈍くて気づいていない。



「だいじょうぶだ。
 道はほとんど真っ直ぐでカーブも緩やかだ。
 しっかり捕まっていろ。
 落としはしない。」


半分は作田に聞かせるために
海斗は
綾周に言って聞かせた。


かぶらせたヘルメットが
ひどく大きく感じる。
羽織らせたジャケットは少し寒いかもしれない。
海斗は後ろにそっと置かれた手をぐっと引っ張った。
背中に倒れ込むようにしがみついた手を胴に回して握らせる。


「捕まっていろ。
 絶対離すなよ。
 俺の背に張り付いてるんだ。」

「はい」

小さな声が微かに震えた。
伊東と作田は
もう準備ができていた。




“お前は
 秦伊周だ。

 ‥‥‥‥かわいそうにな”


インカムに
突然西原の声が響いた。
伊東が海斗を見つめ
ゆったりと体を開いて待つ態勢になった。




海斗は
さっと手を下ろした。


キュキュッと始まりの音は響き
たちまち排気音は噴き上がる。

二台のバイクは咆哮を上げて砦から滑り出ると
ショーが開催される体育館に向かって
一気に加速していった。
瑞月が倒れたとの報から小一時間が経過していた。



“確かめることのできぬことを
 無駄とは思わぬのか”

インカムに響く甘いアルトが
海斗の胸を焼いた。




頭は最短での到着を期して
めまぐるしく回る。
さっと左手を上げると横道に飛び込んだ。

車体は
ぐっと倒され、
綾周のか細い悲鳴が響く。



はっとした。
綾周にはカーブの一つ一つがきつい。
それでも
次の道へともう頭は動いている。


「綾周!
 怖いか?」

「だいじょうぶです!」


排気音をついて
綾周が声を張り上げる。

声はしっかりしていた。
しがみつく体に
危なげはないようだ。
胴に回された腕はますます強く、
前で握った手は金輪際離すまいと握りしめられている。




逸る心に
背の綾周を忘れていた。


「すまん!
 少しきつくなる。」

「はい!」



瑞月の声で
瑞月の声ではない。
その体を別の魂が占めている。


それが誰であるかなど
その事実に比べたら些細なことだった。
伊周だという西原の声を受けて頭は回転するが
荒ぶる己が魂が排気音と重なって渦を巻いていた。



 海斗
 海斗
 ぼく ここにいるよ

あどけない甘いアルトは
胸に明るい。
緑の瞬きが仄かに灯っている。



 瑞月
 待ってろ
 そこから出してやる


うーん
ごめんね
小首を傾げる瑞月の声に
小さな欠伸が重なる。



胸の中に羽を畳んだ天使が
ふわりと丸くなった。



“瑞月に何をさせようとしている?”


葦は伊周だ。
西原の言葉に
信憑性があるとしたら、
宿主として人の器が必要だということだろう。

伊周の生まれる遥か前から
闇の長はいた。


それは使えるカードか
それともフェイクか
まだ結論は出せない。



“別に
 無防備だったから
 選んだだけだ”


次のカーブが近づく。


「綾周!
 右に切るぞ!

 1!2!3!!」


しがみつく腕と背に押し付けられる体が
息を詰めてその瞬間を越えていく。



「よーし
 いい子だ!」

「はい!」

かけた声に
返す返事は明るい。


不思議なほどに
瑞月を胸に収めていることが
綾周を気遣う心に弾みを与えている。


いい子だ
いい子だ

それは綾周にかけているとも
ちんまりと待つ瑞月にかけているとも
つかなかった。



すり抜けていく海斗に対し
伊東は幹線道路を忠実に進んでいったようだ。
作田を乗せて曲芸は望ましくない。


最後のカーブで
綾周は笑い声をあげた。


もう体育館は視界にあった。
大きく湾曲する道を張る弦のごとく直線で
駆け抜けてきた。


海斗は
飛び出した幹線道路を
ひた走った。




少々きな臭くなっていた。

海斗は初めてインカムに言葉を発した。

「西原、
 あと5分持ちこたえろ!」



“やってみろ”
総帥への返事は
葦に応戦する西原の声に返された。




画像はお借りしました。
ありがとうございます。



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