5つ星ホテルで身につけた 
超一流のホスピタリティ心理学 
仕事でもプライベートでも 
強運引き寄せ&最高のあなたになるための
メソッドをお伝えしている、 
人生好転 ホスピタリティコンシェルジュ 

鈴木ゆき枝です。

 

 

私にとって脅威の存在だった父。

 

祖父母と一緒に住んでいましたが

父が一家の大黒柱ということもあり

祖父母へもとても厳しい父でした。

 

厳しいというより、父は親である両親の事を

許せていなかったのかもしれません。

今だから思えることですが。

 

祖父はなんと13人兄弟の長男でした。

なので、曽祖父が新潟から開墾でしょうか?

の為に地元に越してきて広げた土地と農業。

 

その家を継ぐことになりました。

 

本家ということもあり、小さい頃は、父の従姉妹たち家族が

泊まりに来て、最大20人くらい泊まったこともありました。

寝る場所がないので、縁側にまで布団を敷いて寝ている人も

いたような。

 

考えてみたらそんな家に嫁いだ母は大変ですよね。

ま、あまりにも人が泊まりに来すぎて、肝心の母が寝る場所が

なく、母だけ実家に帰って寝て、朝また家に帰ってきた

事もあると言っていました。

 

今では信じられないくらいの濃い親せき

づきあいですよね。

 

 

 

祖父は農業や畜産の仕事をしていました。

ですが、あまり仕事をしているイメージはなく

家にいるときは、お酒をいつも飲んでいました。

 

家畜に餌をあげるため、近くの小学校の残飯を

リヤカーを引いてもらいに行くのが祖父の日課でした。

 

リヤカー、今ではその存在さえ知らない人も多いかもですね。

リヤカーってこういうものです。

なんだか昭和感ぷんぷんですね。

 

私はそのリヤカーに乗って一緒に小学校に行くのが

楽しみでした。

 

幼いから恥ずかしいと思わないからできた事ですが、

残飯の中からまだ手を付けてないミカンとかパンを

見つけては喜んでいました。

ある意味宝探し!

 

父にしたら、残飯と一緒に娘がリヤカーの荷台にいる

のですから、嫌で嫌で仕方なかったそうです。

 

確かに、私も息子にそんなことさせられない。

 

中に続きます。

 

私ストーリー⑪祖父とのお別れ 中編