ジャンボ鶴田が亡くなって今日で20年 | 日報(鈴木)

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【世界にはばたく鈴木グループ】の鈴木です。
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そういう日報ですが毎日ではありません。

一番好きだったプロレスラー、ジャンボ鶴田が亡くなってから今日5月13日でちょうど20年。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人生はチャレンジだ」という鶴田の言葉が刻んである山梨県のお墓に行ったことがなかったので、5/13には絶対にお墓参りしようと思ってずいぶん前からカレンダーに登録していましたが、こんな状況なので、本日は断念することにしました。

 

 

一人で車で行けばいっかなーとか思った事もありますが、こんな時期に事故でも起こして救急車のお世話になったり入院することになったら大迷惑もいいところですからね・・



 

 

 

 

 

 

 

 

「歴代プロレスラーの中で誰が最強か?」

 

という話題になると、かならずジャンボ鶴田の名前が筆頭に上がります。

 

1990年頃のプロレスは危険技のインフレみたいになっていて、大した技術もないレスラーでもヤバい角度で相手を頭から落としたら称賛されるというクソみたいな風潮。


ところが鶴田が繰り出す「逆水平チョップ」「ボディースラム」「ブレーンバスター」などはオールドスタイルの技でありながら鬼のように殺傷能力と説得力があり、そこがとにかく大好きでしたね。

 

 

 

 

 

 

 

亡くなったのは弱冠49歳。

 

三沢、川田、小橋、田上ら四天王が台頭してくると鶴田は体調不良を理由に第一線から退きました。


アンダーカードで渕正信やG馬場とともにヌルいプロレスをするようになり、同時に大学院かなにかに通い出したと記憶しています。

 

「なんだよ鶴田、激しいプロレスから逃げて、悠々自適に老後プロレスかよ。もっと出来るだろ!」


とか思ってファンとしては大いに不満を抱いていましたが、忘れもしない5月16日の自分の誕生日、いきなり、ほんとうに突然に東スポの1面で


「鶴田マニラで死す」


という報道を目にし、「えっっっ!!ウソだろ!?」というマジ大声が出ましたね・・

 

鶴田のなまけ病くらいに思っていた体調不調は、不治の病とされる慢性肝炎で、生体肝移植に一縷の可能性を求めて世界を回っていたようでした。

 

 

 

 

 

 

そういうことで、本日は大好きな鶴田の雄姿を偲び入場テーマ「J」を鳴らしながら仕事したいと思います。


仕事の区切りごとに「オーーーー!!」とか言ってみようかな笑

 

 

 

コロナが終息したら改めて、お墓参りとその近くにある「ジャンボ鶴田ぶどう園」に、息子アニマル鈴木と行きたいですね👍