じいじ、

まいしゅう にちようびに

ごはんを とどけると

👴「さいきん しょくよくが でてきたよ」

って いってたけど、

きょうは ばあば みたいに、
おおきな しゃしんの よこで、

ずっと ねてるね。

じいじ、どうしたの❓



いとこの
おにいちゃん、おねえちゃん、
おねえちゃんのこどもたち、
おばちゃん、おじちゃんたちも

みんな くろいふく きてるね。
すずも くろいふく きせられたよ。

みんなに あえて うれしいな。



でも、 なんか このかんじ、

おちつかない。


じいじの そばに

すずが えのぐでかいた えを

おいておくね。


じいじ、またね。

竹山のおかあさんが亡くなって
2年9カ月。

毎週ご飯を届けて
郵便物やゴミの整理に通い、

パチンコに送り…

と、
すずとのハードな休日の合間なので
できる限りではありますが、
一人暮らしのじいじ(義父)を
支えてきました。

1月に米寿を迎え、
通院も服薬もなく健康だった
じいじが、4/29に亡くなりました。




4月28日の日曜日の昼過ぎ
パパが会った時には
元気だったじいじ。

28日の夜は、
栃木に住んでいるお義姉さん(次女)と、
いつものように電話で
話していたじいじ。

楽しみにしていた火曜日の
デイサービスの送迎の方が、
4/30にインターホンを鳴らしても
出なかったそうですが、

GWで予定を忘れて
大好きなパチンコに行ったか、
ご家族と出掛けているのかと
思われたそうです。

日頃から仲良くしていただいている
マンションの管理人さんも訪ねて
くれたのですがその時も応答がなく、

心配してうちに電話をくれたそうですが
私たちは仕事で留守にしていて
出られませんでした。

その翌日(5/1)、
新鮮な筍をもらったので、
筍が大好物のじいじに届けようと思って、

お味噌汁用の水煮、土佐煮、おこわを
包んで届けようとタッパに詰めて
いた時、電話が鳴ったのです。

じいじのマンションの管理人さん
だとわかった途端、
嫌な予感がしました。

筍を持ってすぐに実家に向かい、
合鍵で開けて家に入ると、

テレビが大音量でついていて
電気もついているのに
返事がありません。

じいじは倒れていて、すでに
呼吸していませんでした。

救急車を呼び、
パパを呼び、
自宅で亡くなったので第一発見者として
警察の事情聴取を受け…


日にちの関係で、
仮通夜3日間を経て、
今日5/4がお通夜でした。


・耳が遠いので日頃から
 電話やインターホンは出ないことが多い
 (電話は折り返ししてくる)

・持病も服薬もなく元気な88歳

・うちも義姉も28日に
 話して元気なところを確認したばかり

・よく訪ねてくれた管理人さんも
 デイサービスの方も、GW中なので
 家族とお出掛けだと思った


…ということが重なって


1日半発見できなかったこと、
一人で発見したことに
私は大きなショックを受けましたが、

警察の事情聴取、
検死結果、
次女のお義姉ちゃんとの最後の会話、
部屋の中の様子
などから、

じいじは、
翌日のデイサービスを楽しみにし、

家計管理している
パパや私には内緒で
パチンコの軍資金を調達
していて
(義姉に頼んで古いウイスキーを売ってお小遣いを得たばかりだったそう)
GWはパチンコ三昧だと
ウキウキした気持ち
で、

珍しくビールを飲んで

虚血性心不全で急に心臓が止まって、
苦しむことなく
亡くなった
のだろうとわかり、


次第に、家族みんな
「大往生だね。
自宅で、幸せな気持ちで
最期を迎えたんだね」

という気持ちになれました。


じいじ、ありがとう。
ばあばというすばらしい伴侶、
優しい子どもや孫、ひ孫に囲まれて
幸せな人生だったね。
天国でばあばを大切にしてね。


すずは、ばあばの法事で見通しが立って

「ああ、あの時間のかかるやつね」

とでも思ったのか、



式場に入りたがらず、

私の姉妹が付き添ってくれて、

ほぼ親族控室で過ごしました。


食事の時間だけにこにこと

戻ってきて食べました。





法事はこなせていないけど、

終始ご機嫌でした。


がんばったね、すず。





お葬式もすず、がんばりました。