普通になってほしいという
思いが消えない、
息子の障害を
カミングアウトできない、
というコメントを
いただきました。

そのコメントへの返信、その2です。



軽度知的障害の疑いがあることを
親が受け入れず、
特別支援学級を断り、

通常学級で
小中学校の9年間
苦労
された

軽度知的障害の方の
実例
(現在60歳)を紹介します。



↓返信1回目。私の考え方は…



👇いただたコメント



サムネイル

しゅばるつちゃんさん、
そして同じ思いを持つ親御さん。

「普通」ということについては、
障害理解の講演でも
毎回お話させていただいているくらい
お伝えしたいテーマなので、

返信その2として、実例を
紹介
させてください。

長くてすみませんが、
ご一読いただけたらうれしいです。


おしゃべりもできて、
一見「普通」に見える
軽度〜グレーゾーン、
高機能自閉症のあるお子さん
を、

障害があると思いたくない、
周りに知られたくない、
なるべく普通に見せたい、

という親御さんは、
たくさんいらっしゃると思いますが、

私が支援している方で、
50代のときに
軽度知的障害・発達症状あり
の診断が出た
方の実例
から、

「普通になること」
ではなく、

本人が居心地のいい場所と、
好きなこと・できることを
見つけて、
「幸せになること」


が、本人や家族にとって、
どれほど大切なのかを

お伝えしたいと思います。


しゅばるつちゃんさんは、

お子さんに
診断が出ているとのこと
ので、

すでに
必要な福祉支援、

環境づくりを始めていらっしゃる、

つまり、
幸せへの第一歩を踏み出して
いらっしゃるということ
ですよね😊

あとは、
ゆっくりと

障害を受け入れたり、学んだり、
周りの方に相談したりしながら、

お子さんに合った幸せを、
お子さんとともに

探していくだけですね。

私も、すずの幸せをずっと
模索していきます✊🏻



    

軽度知的障害・発達障害症状あり

の Sさんの場合
(診断当時55歳、現在60歳)


中学を卒業して、成人してからも、

日常生活に困りごとが多く、

実際にさまざまなトラブル

(健康問題、金銭問題ほか)が起こり、

40代で大きな借金を作ってしまった

Sさん。



Sさんは、

小学校に入ってすぐ、
特別支援学級を薦められたのですが、

父親が通常学級を強く希望し、

小中学校の9年間、

通常学級に通いました。


でも、

がんばっても周りと同じようにできず、

先生や親には常に怒られ、

自分でもなぜみんなのように

できないのかわからず、

友だちがほしいのにできず、

それどころか

9年間いじめに遭っていて、

小中学校はつらかったと言います。



成績はオール1(本人談)で

高校に進学できず、

中卒で寮のある工場を薦められて

就職しましたが続かず、

その後、ずっと家にいました。


診察や発達検査を

受けたこともなかったそうなので、


高齢の親御さんでは

もう対応しきれない金銭問題

(スマホの課金やリボ払いなど)が

大変になってきた

Sさんが50代のときに、


本人と親御さん、ごきょうだいに説明して、

診察と発達検査を受けて

福祉サービスを受けるように提案

しました。


私は診察・発達検査に付き添い、

療育手帳取得、障害年金申請

しました。



55歳のとき、

軽度知的障害(IQ53)・発達障害症状あり

と診断が出て、


療育手帳を取得し、

その後、

障害年金をもらえるようになりました。


通常は、20歳になるまでに保護者が

してあるはずの手続きなので、

申請が通るまで、書類作成や事実確認に
ものすごく時間と手間がかかりました。

発達障害症状ありと記載しているのは、

幼い頃の診断書や知能を示す数値資料がなく、

50代だと認知症や老いの可能性もあるので、
発達障害については、

生まれつきの障害かどうか診断できないためです。
(でも幼少期の話と現在の言動を見る限り、
 自閉症スペクトラムだろうとのこと)

障害年金は、35年間もらいそびれた
ことになります。

本当なら、中卒ではなく、
小中学校の特別支援学級から
特別支援学校高等部に進学できて、

学校生活を謳歌できた
でしょう。



診断が出たとき、

Sさんは私に、


「障害って言ってくれてありがとう。

子どもの頃から怒られてばかりだったけど、

私が悪いんじゃなかったんだって

わかってよかった。

私もすずちゃんみたいな学校

(特別支援学校)に行きたかったなあ」


とメールをくれました🥹


自己肯定感が低く、

私にも「迷惑かけてごめんね」と

口癖のように言っていたSさん。


「何かしてもらったら、

 ごめんねじゃなくて、

 ありがとうって言えば

 いいんですよー」


と伝えても、しばらくは

「ごめんね。あ、ありがとう」

と言っていました。


がんばっているつもりなのに、

謝ってばかりの人生だったのかな…と

涙が出ました。



60歳になったSさんは今、


障害年金をもらい、

グループホームで暮らし、

お友だちもでき、

支援者さんという理解者

常にいてくれて、


栄養管理金銭管理もしてもらえて

体調も良くなり、

褒められることも増え、


とてもいきいきと

就労継続支援B型事業所で

働いていらっしゃいます✨

(59歳から就労)



Sさんは、

人が好き、お出かけも好きで、

スマホも使えて

簡単な作業もできる方です。


親が普通に見せることにこだわらず、

Sさん自身に合った場所や

好きなこと・できることにこだわって、


障害(特徴)を受け入れ、

オープンにして、

福祉サービスや周りの人の理解を

幼いうちから得られていたら、


楽しい小中学校生活を送り、

特別支援学校高等部を卒業して、

すぐにB型事業所に

就職できていたでしょう。


ご両親は、

とても大切にSさんを育てて来られました。

生活のトラブルにも40代までは

対応されていました。


でも。


Sさんは、59歳になってやっと、

親に頼らない、しかられない、

自分で家族以外の人と

コミュニケーションできる

Sさんらしい暮らし

手に入れたのです。


適切な支援を受けながら

自立できたのです。





普通って

なんでしょう❓



普通なら

幸せになれると思いますか❓



私は、すずに


普通になってほしい

のではなく、


幸せになってほしい、

「普通」という実態も保証もない

ものにするために

無理をさせるのではなく、


子どもの頃からずっと、

幸せでいてほしい

のです😌






力説しちゃいました😅


長い文章を読んでくださった方、

ありがとうございました❣️


↓番外編①60代大卒女性のお話