去る4月5日は小野八幡神社の末社大祭でした。
一般参列者なしで、氏子総代さんだけの参列。
直会なし。
臨時の疫病退散祈願祭を斎行しました。
今月の「杜に想ふ」でも書かせていただいたのですが、祈りの現場は止まない。
むしろこんな時だからこそ、24時間祈り続ける。
我々神職に今、何ができるのか…
きっと全国の神職さんみんなが日々自問自答していらっしゃると思います。
私もその一人です。
ここ毎日のようにSNSを使って、4/29昭和の日に発売されるニューアルバムの告知をしていますが、こんな時に自分の投稿ばかりして恥ずかしくないのか?
そんな問いかけを繰り返しながら、固執を上昇させてゆきます。
今回のメジャーリリースに関する一連の流れは歌手活動というよりは、神職としての自分も含めて一本の筋を感じていて、ここを越えてゆかなければならないと思っています。
歌手として、もう個人という感覚ではないから。
神社の今後の在り方、守るもの。
唄ひ手として何を歌うのか。伝えるのか。
神様やご先祖さま、精霊たちの存在が導いてくださり、今の流れがあること。
私にとって小野八幡神社の再建が大きなきっかけでした。失ったもの、守れなかったもの。喪失感と罪悪感の中で、今の事務所の社長との会話。プロデューサーとの絆。新しいスタッフとの出逢い。リスナーの皆様へと届けたいメッセージが、この2年間でようやく作品になりました。
そしていよいよリリースというタイミングで、今、全世界が新型コロナウィルスの影響を受けてあらゆる価値が見直されている現実。
深くて大きい意味が、きっとある。
改めて想いを致し、微力ながらも、
一神職として謹んで、疫病退散祈願祭をご奉仕申し上げました。
私たちは祈り続けます。
今日は東京大神宮さまのご例祭。
365日、どこかの神社で神事が執り行なわれています。
祈りの現場は24時間。
コロナウィルスが蔓延する背景には多くのメッセージがあるのだと受け止めています。
地球も人も。
本来の姿へと還ってゆく過程なのかもしれません。
皆様の心の安寧を心よりお祈り申し上げます。