伏見城の戦いで、亡くなった 鳥居元忠の墓参りです。
どうする家康で、このシーンに胸が熱くなりました。
鳥居元忠とは
安土桃山時代の武将。通称彦右衛門。松平氏の家臣鳥居忠吉の子として生まれ、幼少より徳川家康の側近として仕えた。姉川の戦いに先駆けしたのをはじめ、各地に転戦して戦功を重ね、三方ヶ原の戦いには負傷して片方の足が不自由になったと伝えられる。1582年(天正10)北条氏勝を甲斐に破り、甲斐郡内地方において領地を与えられ城持衆の1人として一手を預かった。その後は、徳川氏の武将として先手を勤め、1590年の小田原攻めでは相模の築井城、武蔵の岩槻城を攻め下し、功により下総国矢作で4万石を与えられた。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いに際し、伏見城を守ったが、豊臣方の包囲にあい落城、戦死した。