静岡県浜松市北区引佐町井伊谷 龍潭寺 | 神社仏閣巡礼日記と墓マイラー日記

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神社仏閣を参拝しております。
休みを利用し、地方にも遠征をしております。

最近は、歴史上の人物の墓や著名人の墓参りが主に成りつつあります。
基本的に、神社仏閣巡りの方•墓巡りの方のみ承認します。
スピリチュアル系は、拒否しますのでご承知下さい。

清瀧寺から次の目的地に向かうのですが、電車が1時間30分待ちでした。

取り敢えず、一駅先の西鹿島駅に向かいます。徒歩40分くらいかかり、西鹿島駅に到着!

 

天竜浜名湖鉄道に乗り込み、次なる目的地のある岡地駅に!
30分ほど車内で到着し、また徒歩で30分移動。

 

井伊家初代 共保公出生の井戸

 

やって来たのは、龍潭寺です。井伊家の菩提寺です。

山門

 

仁王門

 

東門(旧鐘楼堂)

 

鐘楼堂

 

庫裡 拝観受付と御朱印受付はこちらになります。image

稲荷堂

 

庭園

 

 

 

本堂

 

龍潭寺由緒

寺伝によれば天平5年(733年)、行基によって開かれたとされ、当初の寺号は地蔵寺であったが寛治7年(1093年)に井伊共保が葬られた際にその法号から自浄寺と改められた。
平安時代から井伊氏の菩提寺であったとされる。元中年間(1384年 - 1392年)、宗良親王(後醍醐天皇の皇子)がこの寺を中興したともいう。
永正4年(1507年)、井伊直平が黙宗瑞淵を招いて、龍泰寺と寺号が改められた。
戦国時代の永禄3年(1560年)に戦死した井伊直盛がこの寺に葬られると、直盛の法号から龍潭寺と改められた。ちなみに龍潭寺のある井伊谷は井伊谷川と神宮寺川が合流する流域にあり、水が豊富にある。龍潭寺の「龍」は水神の龍でもある。直盛の死後井伊家の当主となった井伊直親、直盛の娘で直親の死後の永禄年間に井伊家を取り仕切った井伊直虎の墓もあり、直親と直虎の墓は隣り合っている。
井伊家伝記によると、小牧・長久手の戦いにおいて井伊直政が先手大将として出陣する際に、寺に伝わる「日月松有之金銀の扇子」を陣扇として授けたとされる。
関ヶ原の戦いの戦勝にともない、井伊氏が近江国に転封となってからも井伊氏の外護を受け、江戸幕府からも朱印状を与えられた。

Wikipediaより

 

御朱印

次回は、井伊家の墓参りです。