前回に引き続き山梨です。
武田信義の墓参りになるます。
武田信玄は、信義の16世の孫にあたります。
武田信義とは
平安末・鎌倉初期の武将。甲斐国(山梨県)の住人。甲斐源氏源清光の子。治承4(1180)年,以仁王令旨に応じて挙兵。信濃国の平家余党を制圧したのち、源頼朝の要請に応えて駿河国に出陣。富士川の戦では夜襲を仕掛けて平家軍を敗走させた。この直後、頼朝より駿河国の守護に任ぜられた。しかし甲斐源氏の勢威を警戒する頼朝は、養和1(1181)年には信義に叛意の有無を糾問、元暦1(1184)年には信義の嫡子一条忠頼を誅殺した。このとき、信義も頼朝の勘気を蒙り、失意のうちに一生を終えた。