山梨県韮崎市神山町鍋山 願成寺 武田信義墓所 | 神社仏閣巡礼日記と墓マイラー日記

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神社仏閣を参拝しております。
休みを利用し、地方にも遠征をしております。

最近は、歴史上の人物の墓や著名人の墓参りが主に成りつつあります。
基本的に、神社仏閣巡りの方•墓巡りの方のみ承認します。
スピリチュアル系は、拒否しますのでご承知下さい。

前回に引き続き山梨です。

武田信義の墓参りになるます。

武田信玄は、信義の16世の孫にあたります。

 

武田信義とは

平安末・鎌倉初期の武将。甲斐国(山梨県)の住人。甲斐源氏源清光の子。治承4(1180)年,以仁王令旨に応じて挙兵。信濃国の平家余党を制圧したのち、源頼朝の要請に応えて駿河国に出陣。富士川の戦では夜襲を仕掛けて平家軍を敗走させた。この直後、頼朝より駿河国の守護に任ぜられた。しかし甲斐源氏の勢威を警戒する頼朝は、養和1(1181)年には信義に叛意の有無を糾問、元暦1(1184)年には信義の嫡子一条忠頼を誅殺した。このとき、信義も頼朝の勘気を蒙り、失意のうちに一生を終えた。