京都府京都市上京区寺町通今出川上る  本満寺 | 神社仏閣巡礼日記と墓マイラー日記

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神社仏閣を参拝しております。
休みを利用し、地方にも遠征をしております。

最近は、歴史上の人物の墓や著名人の墓参りが主に成りつつあります。
基本的に、神社仏閣巡りの方•墓巡りの方のみ承認します。
スピリチュアル系は、拒否しますのでご承知下さい。

いや、なかなかアップ出来なくすみません。

7月終わりに、大阪遠征しますので後日アップします。

今回は、日蓮宗由緒寺院の本満寺を参拝です。

 

山門
七面社
本堂
方丈  何か書いてあるので読んでみると、本日、正月特別祈祷会の為 御朱印・御首題の受付は行なっておりません。・・・・・・ショックです。
本満寺由緒
1410年(応永17年)本圀寺から分立し、六老僧の一人日持を崇敬開山として玉洞妙院日秀が開基。当時は上京区元本満寺町付近にあった。1536年(天文5年)天文法華の乱で焼失し、堺に避難する。寺伝によれば、それから間もない1539年(天文8年)、関白近衛尚通が現在の地に移建し、後奈良天皇の勅願寺となるという。ただし、移建の時期については異説もある。山科言継の日記『言継卿記』の記載によれば、1545年(天文14年)の時点で本満寺は「近衛殿近所」に存在していた。この「近衛殿近所」が具体的にどこを指すかは定かでないが、本満寺の現在地には該当しない。このことから、1590年(天正18年)頃、豊臣秀吉が京都の寺院を寺町通り沿いに強制移転させた時期に本満寺も移建されたとする説もある。
1751年(万治4年)徳川吉宗の病気平癒を祈願し、幕府祈願所となった。
近世にはたびたび火災に遭っており、1661年(寛文元年)の火災、1708年(宝永5年)の宝永の大火、1788年(天明8年)の天明の大火により焼失するが、その都度再建されている。本堂は1911年(明治44年)2月8日にも焼失し、1927年(昭和2年)に再建された。
Wikipediaより
 
 
御首題 
後日、電話連絡し郵送していただきました。感謝です。