常福寺の目の前にあります、易行院に参拝です。
易行院には、先代の円楽師匠のお墓があります。
三平師匠と円楽師匠のお墓がすぐ側にあるなんて凄いです。
比翼塚
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211129/14/suzuc-0706/eb/65/j/o1080081015038970940.jpg?caw=800)
易行院由緒
日照山易行院不退寺といい浄土宗です。易行院は、もともと浅草の清川町にありましたが、関東大震災後の昭和3年(1928)に現在地へ移転しました。
本院の正面入り口に「助六の塚」があり、歌舞伎「助六由縁之江戸桜」で名高い助六とその恋人である揚巻の墓が、助六地蔵と一緒に祀られています。
本院の過去帳によると、7代目市川団十郎は、承応2年(1653)に死んだとされる助六の百六十年忌法要を文化9年(1812)に本院で営んでおり、助六の墓の裏面には成田屋の屋号が刻まれています。
9代目も明治になって大法要を営んだといいます。こうしたことから、本院は助六寺と呼ばれ、助六と揚巻の仲が良かったことから、お参りすると夫婦円満、結婚成就にとてもご利益があるといわれています
本院の正面入り口に「助六の塚」があり、歌舞伎「助六由縁之江戸桜」で名高い助六とその恋人である揚巻の墓が、助六地蔵と一緒に祀られています。
本院の過去帳によると、7代目市川団十郎は、承応2年(1653)に死んだとされる助六の百六十年忌法要を文化9年(1812)に本院で営んでおり、助六の墓の裏面には成田屋の屋号が刻まれています。
9代目も明治になって大法要を営んだといいます。こうしたことから、本院は助六寺と呼ばれ、助六と揚巻の仲が良かったことから、お参りすると夫婦円満、結婚成就にとてもご利益があるといわれています
御朱印
次回は、円楽師匠の墓参りです。