1月の七福神巡りに参拝時に、ちょっと寄り道をしました。
この日は、箱根駅伝の復路で東海大の力走を見ながら移動!
訪れたのは、鈴ヶ森刑場遺跡です。
供養塔
約200年に渡り10万~20万人の方が、この場で処刑が行われていました。
水難者供養塔
火炙台です、八百屋お七もここで処刑されました。
大経寺本堂
大経寺由緒
鈴ヶ森刑場が開設された慶安四年(1651)と前後して堂宇が建立されたらしい。度々の台風等により建物を失い、その都度再建された様であるが、記録がない為、その間の様子を詳しく知る事は出来ない。
明らかな文章によると、文久二年(1862)大井村名主大野貫蔵が中心と成り、刑場に隣接して百姓番小屋を建立し内々に本尊を安置、密かに刑場受刑者の供養を行う様に成ったのを始めと伝えられる。
明らかな文章によると、文久二年(1862)大井村名主大野貫蔵が中心と成り、刑場に隣接して百姓番小屋を建立し内々に本尊を安置、密かに刑場受刑者の供養を行う様に成ったのを始めと伝えられる。
その後、明治四年(1871)刑場廃止と同時に「旭松庵」と称して、無縁受刑者供養を専らとし、檀家を持つ事なく今日に至っている。その間、昭和十七年(1942)品川薄長寺42世慈洽院日完上人を開山として、寺号公称を行い「鈴森山、大経寺」と成り、第2世小越妙誠法尼の時代に戦争を経て建物を維持、昭和29年、国の区画整理事業により寺域を大幅に失い縮小された現地に移り、平成2年老朽化した建物を全面改装し、近代的寺院として再建、今日を迎えた
御首題