上野公園から玉林寺に移動後に、谷中 延命院に参拝しました。
延命院はこれまで6連敗です。
椎木です。
境内の庭も綺麗に整備しています
本堂
延命院由緒
東京都荒川区にある日蓮宗の寺院。山号は宝珠山。本尊は大曼荼羅。旧本山は大本山妙顕寺。莚師法縁。
慶安元年(1648年)日長の開山により創建され、江戸幕府旗本小堀政貞の生母で江戸幕府4代将軍徳川家綱の乳母三沢局の帰依を得て堂宇が改修された。この寺にある七面大明神(七面天女)は、慶安3年(1650年)に造られた。
ウィキペディアより
延命院事件について
延命院の住職日道の女犯事件をいう。延命院は慶安・承応(1648~55)のころ、日長の開基にかかる、日蓮宗の京都・妙顕寺の末寺で、幕府や水戸徳川家の信仰を得た。日道はもと役者であったが、寛政年間(1789~1801)に延命院の住職となった。その美貌をもって法談、祈祷に事寄せ、また通夜と称して世間の婦女子や大奥はじめ御三家、大名家の女中らを誘致し、姦淫に及んだ。1803年(享和3)、日ごろの不行跡が露顕し、寺社奉行脇坂淡路守安董の摘発を受け、7月29日に日道は斬罪、関係のあった婦女子も押込、叱などそれぞれ処罰された。また納所の柳全も新吉原五十軒道の源太郎の母親と密通したかどで、晒のうえ寺法によって裁かれた。後日この事件は小説にされ、『観延政命談』と題し、貸本屋を通して世上に流布した。のち河竹黙阿弥によって7幕の世話物『日月星享和政談』とされ、通稱「延命院日当」に脚色され、1878年(明治11)東京・新富座で5世尾上菊五郎の日当で初演された。
コトバンクより
住職がいらっしゃらないので、書置きをいただきました。
色っぽい御首題です。