第250話 人生経験論17 『唯二つの平等』 | 鈴鈑工業のブログ

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板金屋さんの一喜一憂

今まで生きてきた中で、


「平等」を追い求めた時期があり、


「平等」を主張した時期もあり、


「平等」を諦めた瞬間もあり、


なぜか「平等」であることを「善し」と


する思いが、常に付きまとっていたような・・・。


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今回のテーマは、


著者が約40年生きてきた中で、


二つだけ、『平等』と感じた


そんな観点を書きます。


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この世の中、


金持ちもいれば、そうでない者もいる。


素晴らしい才能を持っている者もいれば、

それを開花できないでいる者もいる。


勝つ者がいれば、敗者もいる。


「平凡だ」「一般的だ」「普通だ」

なんていう言葉は人それぞれの

価値観の違いによって、見方は様々になる。


そんな中で、


「平等」なんてあるのか・・・。


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2013年8月17日時点で


著者が思う


一つ目の「平等」。





生き物における

「死」



物における

「滅」





死ぬ時期に関しては「不平等」感があるが、


生き物は、皆、平等に「いつか死ぬ」。



物にも耐久性、腐食性などあるが、


「いつか滅する」。




病を治すのも、物を修復するのも、


あくまでそれは「延命措置」。





著者は常々(ほぼ毎日かな)思う。


「次の瞬間、死んでいるかもしれない」


と。



昔は、こんなことを考え始めてしまうと、


不安、心配、妄想の連続でイヤになり、


「考えるのやめて、楽しく生きよう!」


と、開き直ってみたりした。




が、やっぱり、


開き直ってみても


「次の瞬間、死ぬかもしれない」


が好転するとは、どうしても思えなかった。



そしてそれは、


「自分」だけに与えられた確率ではない、


ということにも気づいた。






「平等」






・・・こういうのを平らで等しい、って言うんだな。


生きもの、皆、一緒だ。


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さ~て、じゃぁ、どうすっかな~


ポジティブに考えても「いつか死ぬ」


ネガティブに考えても「いつか死ぬ」


何にも考えなくても「いつか死ぬ」


そしたら~・・・・、



おしっ!



『死ぬその時まで、精一杯生きるか』



- 自分の生き様を決める -





二つ目の「平等」





『己の意志』



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この世は不思議でならない。


「生まれてくること」も不思議だし、


「死ぬこと」も不思議。



なのに、


なぜ人間は


「死」


に対して、



『死 撲滅運動』とか、


『死 反対デモ』とか、


『不老不死を目指す政党』とか、


無いんだろうか?




やはり、みんなわかってるんだ。



誰に教えられるわけでもなく、



「死」



が絶対的に



「平等」



であるということを。


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だとしたら、後は


どう生きるかの「己の意志」を固めるだけだ。



「頑張るのか・・・」

「怠るのか・・・」

「おごるのか・・・」

「逃げるのか・・・」

「適当に乗り切るのか・・・」

「あえて意志を持たない、という意志か」





どれを選ぶも、その人の人生。


どれを選ぶも、その人の証。




他が口を出せないので、




これ「平等」。