今まで生きてきた中で、
「平等」を追い求めた時期があり、
「平等」を主張した時期もあり、
「平等」を諦めた瞬間もあり、
なぜか「平等」であることを「善し」と
する思いが、常に付きまとっていたような・・・。
----------------------------------
今回のテーマは、
著者が約40年生きてきた中で、
二つだけ、『平等』と感じた、
そんな観点を書きます。
----------------------------------
この世の中、
金持ちもいれば、そうでない者もいる。
素晴らしい才能を持っている者もいれば、
それを開花できないでいる者もいる。
勝つ者がいれば、敗者もいる。
「平凡だ」「一般的だ」「普通だ」
なんていう言葉は人それぞれの
価値観の違いによって、見方は様々になる。
そんな中で、
「平等」なんてあるのか・・・。
----------------------------------
2013年8月17日時点で
著者が思う
一つ目の「平等」。
生き物における
「死」
物における
「滅」
死ぬ時期に関しては「不平等」感があるが、
生き物は、皆、平等に「いつか死ぬ」。
物にも耐久性、腐食性などあるが、
「いつか滅する」。
病を治すのも、物を修復するのも、
あくまでそれは「延命措置」。
著者は常々(ほぼ毎日かな)思う。
「次の瞬間、死んでいるかもしれない」
と。
昔は、こんなことを考え始めてしまうと、
不安、心配、妄想の連続でイヤになり、
「考えるのやめて、楽しく生きよう!」
と、開き直ってみたりした。
が、やっぱり、
開き直ってみても
「次の瞬間、死ぬかもしれない」
が好転するとは、どうしても思えなかった。
そしてそれは、
「自分」だけに与えられた確率ではない、
ということにも気づいた。
「平等」
・・・こういうのを平らで等しい、って言うんだな。
生きもの、皆、一緒だ。
----------------------------------
さ~て、じゃぁ、どうすっかな~
ポジティブに考えても「いつか死ぬ」
ネガティブに考えても「いつか死ぬ」
何にも考えなくても「いつか死ぬ」
そしたら~・・・・、
おしっ!
『死ぬその時まで、精一杯生きるか』
- 自分の生き様を決める -
二つ目の「平等」
『己の意志』
--------------------------------------
この世は不思議でならない。
「生まれてくること」も不思議だし、
「死ぬこと」も不思議。
なのに、
なぜ人間は
「死」
に対して、
『死 撲滅運動』とか、
『死 反対デモ』とか、
『不老不死を目指す政党』とか、
無いんだろうか?
やはり、みんなわかってるんだ。
誰に教えられるわけでもなく、
「死」
が絶対的に
「平等」
であるということを。
-------------------------------
だとしたら、後は
どう生きるかの「己の意志」を固めるだけだ。
「頑張るのか・・・」
「怠るのか・・・」
「おごるのか・・・」
「逃げるのか・・・」
「適当に乗り切るのか・・・」
「あえて意志を持たない、という意志か」
どれを選ぶも、その人の人生。
どれを選ぶも、その人の証。
他が口を出せないので、
これ「平等」。