第198話 人生経験論12 『因果』 | 鈴鈑工業のブログ

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板金屋さんの一喜一憂

物事には、たいてい、


と結


がある。(ほとんど全部とも言える)

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その原因と結果には、


それなりの、


えとい(むくい)


が含まれる。


そう、


因果応報(いんがおうほう)


ってやつです!

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著者もこれまで生きてきて、


様々な因果応報を味わいました。



良い結果にも悪い結果にも、


全てに『原因』が確かにありました。


それも全ての原因は『自分』にあるもの


なんだとも思いました。

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一つ目の例を挙げます。


私は、多少の市販薬の知識を持っています。

(ホントに多少です)


なぜかというと、昔、薬局で1年間バイト


をしたことがあるからです。



原因→薬局でバイトした

結果→多少の市販薬の知識を得る

応え→薬局で薬剤師の口車に乗らなくて済む

報い→たまに調子こくと間違った薬に手を出す



簡単な例です。

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二つ目の例。


A君とB君の二人がいます。


二人はある作業を共同で行うように


指示を受け、終わったらバイト代がでます。


A君は見物しているだけで、


B君が全部の作業を一人で終わらせました。




(A君の場合)


原因→仕事を受けるが、サボる

結果バイト代をもらう

応え→実力が伸びない

報い→周りから不信感を浴びる


(B君の場合)


原因→仕事を受け、一人でこなす

結果バイト代をもらう

応え→実力が伸び、周りから信頼を得る

報い→体力的に疲れる



さて、同じバイト代をもらえるとしたら、


あなたはどちらを選びますか?

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こんな感じで例を二つ挙げましたが、


もちろんA君、B君どちらを選ぼうが、


その人の自由です。


但し、


A君は、自分で選んだ道なんだから、


実力が伸びなかったり、


不信感を持たれることを、


とやかくは言えない!



B君は、自分で選んだ道なんだから、


疲れることを


とやかくは言えない!



因果応報とは・・・



全ての物事は、


「意識してようが」「無意識だろうが」


自分で決めて自分で出した結果だ!


ということなんです。



他人をも責めることなんてできません。


もちろん自分を責めても結果が出て


しまった以上、どうにもなりません。


ただ、


次回も同じ道を選ぶか、


道を変えるかの判断材料には、


して欲しいかな、とは思います。

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著者も以前、


何も努力しないで、


『どうにかなるだろ!』


とタカをくくった時期があります。



原因→何も努力してない

結果→どうもならずに、そのまま。

応え→自分自身は、何にも変わらない

報いその時は、周囲が動いてくれて、

     その動いた人たちの実力が伸び、

     おいてけぼりになる。


この経験が、痛烈に残り、


その後は、なんとかB君の思想に


近づこうとした、


そんな経緯がありました。

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また、昔、バイト時代に


「こんな給料で、こんなきつい仕事を


なんでやらされるんだよ!」


と言ってた事があります。



ある先輩が自分にこう言いました。


「じゃあ、辞めればいいじゃん。」

「こんなきつい仕事を、この給料でOKって、

思って選んだのはお前だろ。文句言いながら

も、辞めないお前を疑うよ!」


・・・・・、全く言い返せない自分がいました。


因果応報なんて言葉は


意識していなかったので、


「自分が決めたこと」


ではなく、


「やらされてる」


の思い込みを自分に植え付けていた


のかも知れません。

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人間なんて、


この世に生まれてくるのも、「一人」


この世を去るのも「一人」


です。


手をつないで仲良く同時に、


なんて有り得ません。




『己(おのれ)』で全てを決断した結果が、


今現在の姿


なんだと思います。