物事には、たいてい、
原因と結果
がある。(ほとんど全部とも言える)
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その原因と結果には、
それなりの、
応えと報い(むくい)
が含まれる。
そう、
因果応報(いんがおうほう)
ってやつです!
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著者もこれまで生きてきて、
様々な因果応報を味わいました。
良い結果にも悪い結果にも、
全てに『原因』が確かにありました。
それも全ての原因は『自分』にあるもの
なんだとも思いました。
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一つ目の例を挙げます。
私は、多少の市販薬の知識を持っています。
(ホントに多少です)
なぜかというと、昔、薬局で1年間バイト
をしたことがあるからです。
原因→薬局でバイトした
結果→多少の市販薬の知識を得る
応え→薬局で薬剤師の口車に乗らなくて済む
報い→たまに調子こくと間違った薬に手を出す
簡単な例です。
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二つ目の例。
A君とB君の二人がいます。
二人はある作業を共同で行うように
指示を受け、終わったらバイト代がでます。
A君は見物しているだけで、
B君が全部の作業を一人で終わらせました。
(A君の場合)
原因→仕事を受けるが、サボる
結果→バイト代をもらう
応え→実力が伸びない
報い→周りから不信感を浴びる
(B君の場合)
原因→仕事を受け、一人でこなす
結果→バイト代をもらう
応え→実力が伸び、周りから信頼を得る
報い→体力的に疲れる
さて、同じバイト代をもらえるとしたら、
あなたはどちらを選びますか?
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こんな感じで例を二つ挙げましたが、
もちろんA君、B君どちらを選ぼうが、
その人の自由です。
但し、
A君は、自分で選んだ道なんだから、
実力が伸びなかったり、
不信感を持たれることを、
とやかくは言えない!
B君は、自分で選んだ道なんだから、
疲れることを
とやかくは言えない!
因果応報とは・・・
全ての物事は、
「意識してようが」「無意識だろうが」
自分で決めて自分で出した結果だ!
ということなんです。
他人をも責めることなんてできません。
もちろん自分を責めても結果が出て
しまった以上、どうにもなりません。
ただ、
次回も同じ道を選ぶか、
道を変えるかの判断材料には、
して欲しいかな、とは思います。
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著者も以前、
何も努力しないで、
『どうにかなるだろ!』
とタカをくくった時期があります。
原因→何も努力してない
結果→どうもならずに、そのまま。
応え→自分自身は、何にも変わらない
報い→その時は、周囲が動いてくれて、
その動いた人たちの実力が伸び、
おいてけぼりになる。
この経験が、痛烈に残り、
その後は、なんとかB君の思想に
近づこうとした、
そんな経緯がありました。
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また、昔、バイト時代に
「こんな給料で、こんなきつい仕事を
なんでやらされるんだよ!」
と言ってた事があります。
ある先輩が自分にこう言いました。
「じゃあ、辞めればいいじゃん。」
「こんなきつい仕事を、この給料でOKって、
思って選んだのはお前だろ。文句言いながら
も、辞めないお前を疑うよ!」
・・・・・、全く言い返せない自分がいました。
因果応報なんて言葉は
意識していなかったので、
「自分が決めたこと」
ではなく、
「やらされてる」
の思い込みを自分に植え付けていた
のかも知れません。
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人間なんて、
この世に生まれてくるのも、「一人」
この世を去るのも「一人」
です。
手をつないで仲良く同時に、
なんて有り得ません。
『己(おのれ)』で全てを決断した結果が、
今現在の姿
なんだと思います。