幸福とは何か。

改めて言われると難しい問題である。

朝起きて洗面室で顔を洗っているときにふと考えてしまった。


ドイツの哲学者カントは『実践理性批判』の中で「幸福であることは、

全ての理性的な、しかしながら有限な存在者の必然的な要求である」

と主張している。


要するに、みんな幸福になりたいのである。


ファンネルは『幸福論』の中で、「幸福とは、そのまま変わらないで

ほしい状態である」と定義している。


通常、そのような状態は永続しないものであると考える。


シラーが言うように、まさに「幸福には翼がある。それをつないで

おくことはむつかしい」のである。


むしろ、幸福という概念を考えずに生きた方がいいのかもしれない。


ジョン・スチアート・ミルも『自叙伝』の中で、「幸福をうる唯一の道は、

幸福ということを忘れ、それ以外の目的を人生の目的とするところに

ある」と主張している。


私は今、洗面室で顔を洗っており、

家があり、電気があり、水があり、両手がある状態である。


あまりにも自然で考えたこともなかったが、

私は今、とても幸福だと思った。


以上


歴史とは何か。

歴史学者のE・H・カーは、次のように主張する。


「歴史とは、過去と現在、そして現在と未来との会話である。」


確かに、人文社会学系の学問(例えば政治学等)に歴史は不可欠である。

やはり理数科系と違い「実験」という行為で立証できない以上、歴史の

類似性に事象の理(ことわり)を見出す作業が必要となるからである。


なるほど、人類の営みは繰り返され、「かわらないなー」と思うことはある。

しかしながら、大切なのは過去との会話よりも、むしろ未来との会話である。


生き生きと未来を歩む指針として歴史を学ぶのである。

時代を魁るために学ぶのが歴史の醍醐味である。


まさに、「故(ふる)きを温(たず)ね、新しきを知る」ことが重要なのであって、

読書のし過ぎで身動きが取れなくなってしまう「隠者」であってはならない。


以上、「歴史好きブログ」の冒頭に際する自己への戒めとして・・・。


アメーバピグにおいて庵(いおり)を結ぶことにした。
ピグライフにおける庭の名前は「隆中庵」(りゅうちゅうあん)である。


三国志で有名な諸葛孔明が修養時代に、

襄陽の西、隆中にて庵を結んだ故事にちなんで命名した。

彼は、草屋に隠居し、普段は耕作するほか、
草堂に閉じこもって書を読み学識を深めたという。

人間には思索をめぐらし、人間を練る時期(時間)が必要である。


現代においては、バーチャルの世界に庵を結ぶことが可能である。

アメーバピグは、一種の庵と言えないだろうか?


ピグライフとは、

普段は耕作し、スタミナが回復する間は思索を練る時間である。


そして、一人一人の人間がブログという表現行為を通じて

改めて現実社会に対する認識をより明晰していくのである。


以上、アメーバピグを通じた自己陶冶の始まりを記念して・・・。