コップに半分の水が入っている。
よく用いられる例題。そう、物事を肯定的に見れるか否か。この例題を出すとほとんどの人が半分水が残っていることを肯定するだろう。
だって答えを知っているから。
それでは100万円の貯金を半分騙し取られたらどうだろう?半分残っていて良かったと思える人はどれほどだろうか?
きっと幸せな人は50万円失った嘆きがあっても半分残って良かったと思えるのだろうね。いや、全てを失っても借金せずに済んで良かったと思えるのだろう。逆に不幸な人たちはほんの少し失っただけでも心が囚われて先が見えなくなるのだろうね。
同様に給料が半分になったらどうだろう。多くの人がこれでは生きていけないという。しかし、職に就きたくても就けない人から見ると半分でもあるだけ良いじゃないかって思うんじゃないかな?そういう風に俯瞰的な視点で捉えると給料が下がっても肯定的に見れるのだろうね。
金銭だけでなく人間関係に於いてもこれは同じではないだろうか?別れは悲しいものだが、その別れが悲しいと思えるほどの喜びが過去にあったからではないだろうか?別れの悲しみと同時にそれまで当たり前とさえ感じれる喜びが与えられたことに感謝すれば肯定的な視点がもてるんじゃないかな?
私はいつも思う。幸不幸という物は物質的なものではなく、心の物差しであると。物質的に囚われている人は不幸になり、どんなに物質的に貧しくとも心に感謝を持てる人が幸せではないかな?
何かを失ったときに現れる悲しみはその裏にある感謝を知り得るビッグチャンス。心が囚われていてじゃそれを知ることはできない。失ったものをコップの水に例えてみるとよいかもね。