最近ネット動画で経済数学を学んでいる。これが殊更面白い。特に微分を多用して様々な分析がなされるところ。経済と微分の結びつきに関して全く無知だったが、あらゆる曲線から得られる微分の傾きはその時々の社会情勢そのものかもしれない。
さて、なんとなく学びだした経済数学だが、経済学の観念を使えば消費者の満足度なども得られ、これを逆手に取れば不満度が計算でき、更には不幸度合いや生き辛さも数値化や公式化ができる気がしてくる。まだまだ学びが浅いのでこれから構築すべきだが、現段階でも一つの大きな見えつつある。
それは需要曲線と供給供給を使えば生き辛さの本質が見える気がする。一般には需要曲線と供給曲線も交わる位置が適正価格となり市場が形成されるが、私たち個人個人の需要も同じに見える。
つまり、欲しい物があれば其れを手に入れるために適正価格を支払わなければならないが、これは支払いのために相応の金銭の供給量が必要とも考えられる。つまり自身の需要を満たすためにそれに見合った供給が必要ということ。資格試験に合格するという需要のために長時間の学資努力の供給が必要だし、スポーツで良い結果が欲しいという需要のはそれなりの練習量の供給が必要である。
しかし、需要に見合わない供給量なのにそれを受け入れずに文句を言うと、それは市場原理に反するのと同様に観念そのものが成り立たなくなる。こんな状態に陥っている人が生き辛さを感じるのではないだろうか?更には需要と供給の値の乖離が大きいほど生き辛さも大きくなるように思われる。
きっと生き辛さをほとんど感じない人は需要に見合った供給ができるか、自身が供給できる範囲で需要しているように思われる。
こんなことを最近考えている。めちゃおもろい。これをもっと 発展させて一つの学問になればおもしろいなあ。そしてその学問の タイトルも考えないと。
更にはランチェスター理論とかも取り入れられたらもっと面白そう。2025年の一つの目標になりそう。