身体の不自由な人は多く存在するが皆不幸だろうか?
障害者スポーツに触れると色々考えさせられることがある。皆それぞれの障害と向き合い一所懸命に努力している。そんな彼らを見ていて不幸に見えないのは私だけでないはず。
例えば、足が不自由だから私は不幸だという人もいるだろうが、足が不自由でもそれにとらわれず活躍する人も多い。
発達障害に関しても同じことは言えないだろうか?発達障害によるハンディキャップhsあるかもしれないがそれにとらわれず生活している人たちも一定数は存在する。
更に、障害者でなくても不幸な人たちも多く存在している。結局のところ、幸不幸というものは心の囚われの有無そのものではないだろうか?完璧な人など存在しない。誰にも不得手や短所はある。しかしそれに囚われなければ不幸を感じることはないんじゃないかな?
自分の短所に気づかなければ心を痛めることもない。自分の短所に気づけても克服する努力ができたり、短所自体を受け入れられれば不幸を感じる必要もない。
不幸って究極的にはものの捉え方そのものではないだろうか?私自身もこれに気づけて自身の幸せに気づけた。
上記の内容に同意できない人もいるだろう。無理に私の考えに従えとも言わない。 できれば頭の中を整理してもう一度読み返して欲しい。反対意見があれば歓迎します。