私たちにとって平和は当たり前。そんなこと誰も疑わない。


でも少し考えてみると…


例えばウクライナやガザで暮らす人々は毎日が死と隣り合わせかも知れない。最近は報道されづらくなっているだろうがシリアやミャンマーでも政情が安定しない。メキシコは首都でさえギャングに警察の手が届いていないらしい。


私たちが日ごろ当たり前に感じる平和は実に尊いものなのかもしれない。なのに平和な世の中への感謝を忘れてついつい不満ばかり抱いてしまう。


太平洋戦争の苦しみから平和な世こそ幸福だと信じて戦後復興に努めてくれた世代は今の世をどんな風に感じているのだろう。


私には車椅子生活を営む友人がいて最近よく顔をあわせる。彼に会うたびに自身の四肢が自由に動くことに感謝を感じる。身体が自由に動くこともついつい当たり前に感じて感謝を忘れがちになっていないだろうか?


それ以外にも私たちの周りには当たり前過ぎる感謝すべきことはきっといくらでもあるだろう。しかし、感謝するどころか目先の損得にばかり目を奪われ不平不満ばかり口にしていないだろうか?どこまで愚かで傲慢な生き物なのか?


不平不満が心に宿るとき、私はいつも上記のことを自身に問いかける。不平不満が消える訳でもないかも しれないが忘れていた感謝には気づけることが多い。そして不満なことを考えられること自体が感謝すべきなのだと教えられる。


みなさまも身の回りにある当たり前過ぎるものに隠れている感謝を見つけてみてはいかがでしょうか?