昨日は身体は知らずに歪んでいくと述べたが、心も知らない間に歪んでいくものかもしれない。身体の場合は左右の差で歪みに気づき安い側面もあるかもしれないが心は形がないので気づきづらいかも。


と言うか、社会で孤立している人はそもそも歪んでしまっているのだろうし、更には社会で共生できる人は社会に合わせて歪められるからかもしれない。何が真っ直ぐで何が歪んでいるのか、その定義さえあやふやなものかもしれない。


 歴史を振り返ればソクラテスは歪みを嫌ったが故に悲しい最期を遂げたのかもしれない。老子はそうならないために山奥でひっそり暮らしたのかも。宮本武蔵も似ているかな。


どんなに矯正しても身体の歪みは避けられないのと同様に、心も自然に歪むし歪み過ぎれば伸ばせば良いものかも。


やっぱり余りに真っ直ぐ過ぎるのも辛いものかもね。


身体も無理に伸ばしきるのもよくないかも。