先日、所さんの世田谷ベースという番組のネット配信を見ていて頷いたことがあった。


 試験でうまくいかなかったってのは実力が出せなかったのではなくて、それが自分の実力なんだから~。


という内容だった。


私自身も多くの相談を受ける中でよく似たことを耳にする。


・本番に弱い

・幾ら努力しても報われない

・思い通りの結果が出ない

などなど。


 きっと所さんに言わせれば本番に弱い のがあなたの本来の実力であって、報われないのは報われるための努力が足りていないだけだし、そもそも簡単に思い通りになるなんて考え方が間違ってるんだよ、って良いそう。


そして私自身もそれらの考え方は当を得ていると思う。


コロナ禍以来私の生活はスポーツが中心になっているが、野球であれ水泳であれ、自身が思い描く結果などほとんど得られないが、それを嘆いた記憶は一度もない。


望む結果が得られない時は、まずは努力の方法を振り返ってみる。そして方法を変えた方が良ければ変えるし、変えずに継続することもある。時には目標を下方修正することもあるし、稀に目標を放棄して諦めることもある。


先に述べたようにどんな努力を行ったとしても結果が伴わない以上は努力量が不足しているか努力の方法が間違っているか、もしくはその両方と考えるのが客観的で論理的な方法。


こんな状況で何故嘆けるのか、私にとってはそちらの方が甚だ疑問に感じられる。


相談を受けるにしても方法論の幅を広げるための会話なら前向きに臨めるが、感情的に嘆かれたところでアドバイスの送りようもない。


そもそも、全てが思い通りになっている人など存在しないだろうし、目標達成率が高い人はきっと達成するまで努力を継続できる人だろうし、私の主観では思い通りにならないことを受け入れられる人の方が幸福度が高いようにも思う。


以下に図式化してみると


思い通りの結果が出ない→①目標を変えない ②目標を再設定する


①目標を変えない→継続して努力するor方法を変えて努力し続ける


②目標を再設定する→目標を下方修正する(下方修正した目標を達成するための努力を継続する)or目標を放棄する(諦める以上は嘆いたりしない)


以上のチャートに当てはめてみると判りやすいと思う。どう選択しても感情的な考えには行き着かない。


最後に、思い通りに行かないからといって嘆くような行為は自身の信頼を地に落とし大切な人を失いかねないような重大な結果を招きやすいことを理解されたし。理由についてはここでは述べない。