百人一首などの唄は季節の移り変わりや恋心などを唄ったものが多く、そう言う意味では空気が読めない発達障害タイプの人たちはあまり名を残していないのかもしれない。


しかし、深く読み返しているとギフテッドかなと思われる人がいる。誰もが知るなど学問の神様、菅原道真も24番歌で菅家の名で残されている。


このたびは幣もとりあえずたむけ山紅葉の錦神のまにまに


詠んだ歌は宇多天皇の伴をしていた時みたいで、太宰府に流された後の恨めしい気持ちなどなさそうだが、才能を高く評価され宇多天皇に余りに重宝されたために摂関家などからやっかまれていたらしい。宇多天皇の譲位後は濡れ衣を着せられて九州追いやられた。天才肌で出世欲もなく、が故に筋の通らないことを容赦しなかったらしい。そう言うところが敵を多く作ったのだろう。


そしてもう一人、小野篁は小野妹子の子孫らしいが、彼も切れ者で道真と同様に道徳観に厳しく、やはり多くの敵を作っていたと思われる。


わたの原八十島かけてこぎ出でぬと人には伝えよ海の釣り船


11番歌で参議篁として唄われている句。彼もまた濡れ衣を着せられて隠岐に流される際によんだものだとか。しかし、彼の才能を頼って後に京に呼び戻されたらしい。困ったときに助けられるのが彼しかいないと思ったのだろう。


しかし、今の時代も変わらないね。自分たちの都合で濡れ衣を着せたりして隅に追いやって於きながら困ったことがあると都合良く呼び戻して一人働かせる。本当に全く同じ。


そう言えば8番歌の喜撰法師も近いかも。


我が庵は都の辰巳しかぞすむ世をうじ山と人はいうなり


彼の場合は政争とは無関係に宇治の山で一人田舎暮らしを楽しんでいる雰囲気。老子に近い生き方のようにも思える。


私自身もこの 数年間の経験からこういう生き方が良いように感じだした。まだまだ法師の域には遠く及ばないが。


百人一首の中でも教わることは多いね。私は法師のようにのんびりと田舎暮らしを楽しんでこれからも生きていきたいな。