自助会などで一旦心に怒りの火が着くと治まりが着かなくなる人によく出会う。彼らは思い通りにならないことを許せない。現状を受け入れられない。そんなところから人間関係を破綻させやすい。そんな生き辛さに包まれていることが多い。


私自身も過去は許せないことが多かった。そして、やはり生き辛かった。


今はある一定の受け入れができるようになり、許せなかった頃の自分と比べると自分で驚くほど許せるようになっている。


そんな私の現在と過去を比べて何故許せなかったのかを綴ってみる。


結果的には許せない人たちは常に心の奥に不満を宿しているのではないだろうか?何かの行為が許せないのではなくて、何かの行為によって自身のうちにある不満や怨念のような物が溢れ出しているように思える。私自身もそうだった。


私自身の心の奥のこれらの不満が消えていったのには幾つかのレイヤーがあるが、まず最初は自身の煩悩に気づけた時だったように思える。その煩悩に一つ一つ向き合って時間が経つ毎に心が晴れていった。


そして次の大きな転機が野宿旅だったかも知れない。人生の途方に暮れながら受け入れというものを学んだ気がする。


現在の私にだってカチンとくることはある。しかし、だからと言って制御不能になることはまずない。カチンとくることはカチンとくるが、それと別のものをごっちゃにする必要はない。


普段は心の中のイライラを出さずに我慢している人ほど、一旦冷静さを失うと堰を切ったようにイライラが溢れ出すのは当たり前の話しでないだろうか?


そういう人たちは自身の心の中の不満に気づかない限り変化することはないように思う。小手先のテクニック程度の物は可能かも知れないが、根本的な解決には至らないのでは?


そういう人たちはできればもう一度読み返して自身の心と向き合って見て欲しい。