先日あるテレビ番組でAIについて特集されているのを見て、とうとうここまで来てしまったのか、と感じさせられた。
これまではコンピューターというものはただの計算機、人間が指示 を出して初めて機能するもの、という認識がコンピューター関連の者たちの共通認識だった。つまり、考えるのが人で計算するのがコンピューターという訳。それが昨今ではコンピューターの方が人より考える能力が長けていたりする。
映画『ターミネーター』を思い出して欲しい。国防のために作られたスカイネットという人工知能が 地球上に不必要と考えられる人類を駆逐しようと・・・。
とうとうこれが現実味を帯びてきた、私にはそう感じられる。
因みに『宇宙戦艦ヤマト 』の文庫本ではイスカンダルの同様の人工知能がデスラー総統を生み出したと記されていた。1970年代末期頃には松本零士の頭の中にはそういう発想があったのだろう。
人工知能ではないが、古代に知能を持った芋が人類と共存共栄していたが、次第に利用されることに不満を持つ人類を全滅させようとしたというストーリー、こちらは手塚治虫の『三ツ目が通る』。松本零士より遡ること10年以上前の作品だ。
上記の作品はみな私たちに考えることの大切さを伝えてくれているのではないだろうか?便利な物への依存への警鐘ではなかろうか?
そう言う意味では水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』も同じかも知れない。妖怪や霊と言ったものへの畏敬の念が薄れた人類への戒めのように私には感じられる。
とはいえ、この流れは止められようもないのが現実かも知れない。
せめて 『ターミネーター』の何作目かのエンディングで現されたように人類と機会が手を取り合えるような世の中が来ると良いが。