諦めれば手に入る


こんな内容のことをこれまで何度もこの場で伝えてきた。同時に手に入れるために諦めたって無駄だよ、とも。


ではどうすれば手に入るのか?


欲しいものを手に入れたいなら実際のところは手に入るまで努力するしかない。諦めるとは手に入れる手段ではなく手に入れたい気持ちを手放すこと。手に入らない現実が受け入れられたときに実はその前から手に入っていたことに気づける、そんな意味で私は伝えている。


が、言葉だけがひとり歩きしちゃうんだな。


そもそも、心の底から欲するものなんて簡単に諦められるものだろうか?少なくとも私には無理だ。だからもう限界というところまで私はやりきる。ここまでやってダメだったらもういいや、って思えるところまでやりきる。実際にそうして諦めたものもたくさんある。もちろん気が済むまでやり切ったんだから尾が引かない。緒を引いているようならjまだやり切れていないんだからもう一度やり切る。実際にその途中のこともたくさんあり、現在進行中だ。


言わば諦めをつけるためにやりきっているのかもしれない。そして幾つかは本当に諦められて、幾つかは諦めるよりも先に目標が達成されて欲しいものが手に入っている。


私が実際に見ていて、努力を惜しみ言い訳ばかりを繰り返している人たちって最も時間を無駄にしているように思える。


数年ぶりにあっても数人前と同じ話しに明け暮れる人って多いよね。


実際にやり切って諦めた努力って目標達成から考えると無駄な労力かもしれない。でも数年の時間を言い訳ばかりに費やすよりはるかに時間の節約になるし、無駄にしたと思われる努力は思わぬところで報いてくれることがよくある。


マラソン大会で完走できなくても 費やした努力は自身の筋力や持久力や健康度を増進させたり、安易に心が折れなくなる精神力を養ったりする。仮に怪我をしてもその経験が役立つことは少なくないはず。


このブログでは失敗は肥やしであるとも何度も伝えてきた。やり切って諦めることも言わば失敗 ようなもの。その行為こそが人生に厚みをもたらせてくれるものと考えれば挑戦しない手はないと私自身は思えるのだが。


諦めれば手に入る


手に入るのは目の前の欲しいものだなんて誰も言っていない。目先の物欲を越えたものが手に入るって意味かもね。