自助会でのあるある悩みごとの代表例の一つ、プライド高過ぎな人たちの生き辛さ。今日はその辺りについて述べてみる。
プライドとは日本語で言うと誇りとか自尊心だとかで表せるのかな?
私の感覚では自身の過去を誇ることがプライドだと思うので、私にもそれなりのプライドがあり、しかしそのプライドで生き辛さを感じることは全くと言って良いほどない。
スポーツの世界ではイチローさんや江川卓さんたちは私の目にはプライドが高いと映るが ものすごい記録を打ち立ててきている超人なので違和感を感じない。
つまり、プライドが高いことと生き辛さは全く次元が違うベクトルのように思える。
プライドの高さと生き辛さがクロスするのはプライドの高さと実力がアンバランスなとき、つまり社会評価よりも自己評価が大きく上回ってしまっているとき、そんな風に思えませんか?
プライドが高いならそれに見合う実力を手に入れるべく直向きに励めばよいし、本当にプライドが高い人たちは隠れて努力しているはず。安易に傷ついて遠吠えなんかしないよ。
この問題を突き詰めて行くと、結局のところは他人から馬鹿にされることに怯えているだけのように思えて仕方ない。
勿論そうであれば馬鹿にされない力を持てばよいだけだし、 そのために努力すればよい。
いや、その前に何故馬鹿にされることにそれほど傷つくのか考えてみてはいかがだろう?
本当に賢い人たちは他人を馬鹿にするだろうか?人を小バカにしたい人たちの心って狭すぎないだろうか?私は人を馬鹿にする人の心が透けて見えてくるから傷つかないし腹も立たない。むしろその人の弱点を自ら晒してくれているので対応しやすい。
加えて、馬鹿にされることに傷つきやすい人たちをよくよく観察して気づいたことだが、彼らは自分たちが優位になったときに 他人を嘲るような言動をすることが多い。つまり、傷つきやすい人たちほど人を傷つけやすい。まるで太宰治の蜘蛛の糸のように 互いに傷つけ合っているように私の目には映る。
こういう私も30代前半までは同じ渦の中で蜘蛛の糸を引っ張り合ってた一人でもあるのだが。
そして、そういった渦から幾分抜け出して、馬鹿にされることに怯えなくなり出してからは実際には馬鹿にされる機会が極端に減った。くだらないプライドを捨てた方が周りから認められるようにもなった。人生は本当に面白いね。
周りのプライド高過ぎトラブルメーカーな人の対処法やあなた自身がプライド高過ぎで悩んでいたりするなら、今一度読み返して考えてみて欲しい。何かヒントを見つけていただけたら幸いです。