昨年から怪我続きな私。大きな怪我をすると人の親切さが身にしみる。


とはいうものの、人間関係は煩わしさも伴うもの。いつもお世話になっている人からの頼まれごとは断るに断られない、大変に煩わしいもの。


でも、こういう大怪我を立て続けに経験すると見え方も変わってくる。いつもお世話になっているのだから多少の不自由さは受け入れて、少しは恩に応えよう、そんな風に思える。


実は、これまではこういう考えをあまり持たなかった私。持ちつ持たれつを否定する訳でないが、人間関係は少し希薄なくらいの方が煩わしさがなくていい、と感じていた。


今も積極的に人間関係を深めようとは思わないが、他人の親切な心には多少の煩わしさを受け入れて応えよう、と思え出した。そうすると、相手からの親切がまた帰ってくる。


親切というものは裏返せば煩わしさへの寛容度のようなものかもしれない。私が受け入れた煩わしさは他人には親切に映るのだろうし、私に対して煩わしさを受け入れてくれる人を親切な人だと感じるように思える。


周りの人にもっと親切にして欲しいのなら、もっと煩わしさを受け入れるべきではないだろうか?もしくは、煩わしさを受け入れないのであれば、他人の親切を期待するのは諦めるべきでは?


これまでの私は圧倒的に後者の部類にカテゴライズされただろう。でも、立て続けの大怪我からこれまでとはほぼ正反対の視野が開かれた気がする。


今回の連チャンモード大怪我は私の価値観を根底から覆すほど、 広くかつ深い学びを与えてくれている。マグニチュード8 以上の自震みたい。


本当に本当に、心から困難に感謝です。