今日は昼から予定していたプールが閉まってたので、時間を持て余しているので本日2つめの投稿。
昭和世代の人たちって『値打ち』という言葉をよく使った。『それは凄い値打ちだ』とか『それでは値打ちが下がる』とか。
最近はこの値打ちが巷から消えそうな気がしている。というか、値打ち=評価額、みたいになっているように思える。
例えば、鯛と鯵だったら鯛の方が値が張るがだからと言って値打ちがあるかないかは別。
私が高知に住んでいた頃に巡礼する人を多く見たが、寺から寺を 貸切バスで団体で移動してお寺参りする人も多かったが、一方でひとりで何日もかけて歩く人もいる。どちらが値打ちがあるだろうか?
野球でヒットを打ったとしても、対戦相手の投手が野球初心者なのとノンプロ経験者では値打ちが全然違うと思いませんか?
同じ物、同じ経験でものの価値は大きく変わる、この価値のことを値打ちって言ってたんだろうね。
世の中がどんどん便利になり、安心安全が安易に手に入る昨今、値打ちという言葉の値打ちがどんどん下がってるように思えてなりません。
値打ちのある人生っていったい何だろう?あなたの人生の値打ちをあなた自身が下げていませんか?
良かったら一緒に考え直してみませんか?