私の生き辛さが大きく軽減したのは、世の中の人は誰も助けてくれないものだ、と思うようにしてから。
そうすると助けてくれない人への腹立たしさが消え、助けてくれる人への感謝が強まった。
困っているのを誰かが助けてくれるのが当たり前と思っていたから世間を敵にまわしてし、それが私の生き辛さの原因だったのだろうね。
30歳すぎ頃に泳げないコンプレックスを解消すべくプール通い詰めて数ヶ月の頃、ある発想が天から降ってきたように感じた。それは浮こうとするから沈んで泳げないのでは?という考え方。
次の日、プールでこれまでとは逆に沈もうという意識で泳いだら急に泳げだした。それからひと月後には1000m以上泳げるようになった。
物事がうまく行かないのは努力不足の一面もあろうが、そもそもの努力する方法が間違っていることが圧倒的多い気がする。何をどう努力すべきかの物事の捉え方がそもそもずれていれば幾ら努力しても思う結果に辿り着くのは厳しい。
今、交通事故のリハビリで思うように身体が動かせない。しかし、そんな時だからこそ気づけることもあるはず。ピンチはチャンス。
で、リハビリを応用して身体の動きを徹底的に見直している。課題だった野球の送球やゴロ捌きも身体の使い方そのものを間違ってトレーニングしていたように思えだした。ジャグリングやパントマイムでの筋肉の使い方も然り。音楽でのリズムキープも身体のどの部分をどう使えば安定するのかも多分全く間違ったままやってきてたみたい。
で、身体の動き自体をトレーニングしようとして気づいたのが空手の型や相撲の鉄砲とか言われるのがとても良いように感じだした。
で、ホンマにこの機会に徹底的に見直しとリハビリを兼ねてのトレーニングを詰めてやってます。昨日は杖なしで1、5km歩けたし。
多分社会復帰する頃は冬のオフシーズン。(放課後デイは既に復帰済みやけど。)今のトレーニングの結果が出るのは残念だけど来春だろうね。
その時に大きくブレイクできるように、地道にやっていくしかないね。
でも、怪我してなかったらこんなことに気づけなかっただろう。怪我したことにも段々と感謝できるようになってきた。