若い頃に2週間ほど入院したのだが、毎日の時間の流れがそれまでの日常とまるで違うことを痛感した。


外科病棟の大部屋で、入院患者の全てが怪我の回復を待つ人たち。つまり患部以外は皆健康で回復を待つ、未来が開けた人たちばかり。病棟は本当に皆明るかった。そして和やかに時間が過ぎていった。


癌の闘病患者や余命宣告された人たちがいるとそんなに明るくはできなかったでしょう。


そんなことも日常に戻ると段々と記憶が薄れてゆく。慌てなくて良い時間を節約すべく心の余裕を売りさばいてしまう。


今回は入院はなし。自宅療養で傷口が塞ぐのを待ちその後にリハビリ。ということで通院や買い物や公的機関の手続きなど外出しなければいけない。


今のところ全てタクシー移動になるが、院内や役所などは外来用の車椅子を活用。屋外の徒歩は松葉杖。


病院の向かいにある薬局に10分以上かかってしまう。目の前の信号が青でも安全に渡り切るように次の青まで待たないといけない。昨日は被害届提出で警察署に訪れたが、松葉杖で歩ける広さがない。流石に交通課は1Fにあったが、それでも廊下の一番奥まで歩いていけと指示され、たった20mほどを5分くらいかけて移動。


買い物に行った際にはもっと困った。両手が松葉杖で塞がっているので買い物カゴが持てないしカートも押せない。仕方なく松葉杖を諦めてヨチヨチ歩いて躓きそうになりながら買い物を終えた。駐車場に待たしていたタクシーの運転手は喫煙に行ってたみたいだった。


タクシーも朝の時間帯はすぐ来てくれるが警察署の帰りは正午前で30分待たされた。電話では10〜15分って言ってたのに。


夜9時の配車予約もしてくれなかった。当然だろうが。夜にしては早く来てくれて助かったけど。


こんな風に一つ一つに時間がかかる。


福祉職経験者だし車椅子の友人もいるのでそんなことは元々知っていた。身体障害者を待つのは慣れている。でも待たせる側は全然違う。


自分ができないもどかしさ、他人を待たせる心苦しさ、全然見える景色が違う。


これも経験だね。少しずつ慣れてはきているが福祉の本当の意味を解っていたつもりの自分が恥ずかしいくらい。待たせる人の気持ちに全然寄り添えてなかったよ。


前回の入院中とは少し違ったゆっくり流れる時間の感じ方。


今はまた新しい学びを与えられている時。ゆっくりと学ばせてもらう他ない。