自身の半生を振り返って約10年前が大きな転機となったのは間違いない。
たった2週間ではあるが野宿しながら歩いた。はじめは辛かったが後半は毎日がウキウキしていた。
実はこの2週間で、後になって気づいたことだが、ある一つのものを手放した。実はこれ自体が人生の転機の要因そのものだと感じている。
では手放したものとは一体何か?
それは、人の助けを当たり前と思う気持ち、これを手放した。
もっと平たく言うとどんなに困っていても、どんなに苦しくても人に頼らない、そう心に決めた。助けて欲しいと言う気持ちを諦めた。
実際にそうしてみると意に反して多くの人に助けられた。『有り難い』の言葉の本当の意味が身に沁みて感じられた。感謝ってこういうことを言うのかと身を持って学べた気がした。
世の中捨てたものでない、温もりを心に持っている人も多い。がしかし、助けられることを当たり前に感じる、言い換えれば誰も助けてくれないことを憤る、こういう気持ちって有り難さや感謝とは真逆じゃないだろうか?
どんなに困っても、どんなに苦しくても、それを受け入れれば、それを当たり前だと思えば辛くはなくなる。生き辛さって受け入れができればなくなるってこういうこと。
例を上げると、フルマラソンは誰もがしんどいと感じるだろう。言い換えるとフルマラソンはしんどいと受け入れていると言える。そんな時に『自分はフルマラソンをもっと楽に走れないと嫌だ』というのが生き辛さのようなもの。
話しは逸れたが、手放せば与えられる、なんて言葉だけが独り歩きしているようにも思えるが、本当に手放すべき、諦めるべきものは何なのか?今一度心に問い直してみては?