詳しく話すと憚られそうなので控えるが、最近よく 他人様のトラブルに遭遇する機会がある。
そんな経験から感じたことについてお話しします。
例えば、財布をテーブルの上に置いて少し離れていたら財布を盗まれた。周りには友達がいたのに誰も気づいてくれなかった。というようなトラブル。
まず、貴重品を放ったらかしにしてたらそりゃあそうなるわな。せめて誰かに言付けていればその人が見てくれてたかも知れないのに。
こういったトラブルが最近は頻繁にある。
これって周りから見れば起こるべくして起きたトラブル、トラブルにならなかった方がラッキーなだけ、そう思いませんか?
でも、本人はきっと自分は運が悪い、何故か自分ばかりがトラブルに合いやすい、そう思っているようで、実に不思議。
総じて、責任感の弱い人がトラブルに合いやすいように思える。
いや、 責任感の強い人でもそういうことはあるかも知れない。しかし、自分の過ちがそうさせたのだ、以降は気をつけよう、という風に考え、行動を慎むようになるのだと思う。
一方で、トラブルを繰り返す人たちは己の行動を顧みず、自分は運が悪い、何故周りの人たちは助けてくれないのか、という行動になりがちなよう。
これって依存ですよね。
そうなんです。私が気づいた今回の根幹、それは責任感の低い人は依存的な人が実に多いということ。加えて、先日テーマに取り上げた成功体験が少ない人とも近いと考えられる。
『私は成功体験が少ないから生き辛いんです。どうしたら良いんですか?』といった質問を受けることが多いが、この言動自体が依存的で責任感が欠如していないだろうか?
責任感のある人なら何度失敗しても成功するまで挑み続けるだろう。安易に教えて貰おうとせず必死に次の方法を考え続けるだろう。
責任感の欠如=依存的、とすれば裏返してみると責任感=自立的となる。
私は常々、自己選択、自己決定、自己遂行ができることを
自立への3段階として薦めているが、これらの3段階の行動自体が責任感そのものではないだろうか?
つまり、自立したければ責任感を持ちなさい、ということになるが実にしっくりくる。
『私は自立できないんです。自立するためには何をしたら良いのですか?』これまた耳にタコができるほど聞かされた台詞だが、その無責任さに気づかなければ幾ら努力したところで自立は遠いことになってしまうことがおわかりでしょうか?
世で一般に言われる社会人というのも実は責任感のある人のことを言うのだろう。逆に責任感の欠如した成人をアダルトチルドレンと呼ぶのかも知れない。
責任感、非常に大切なもののように思えるが、責任感とは具体的にどういうことを言うのだろう?ここから先は述べない。責任感というものがどんなものかさえ人に教えて貰えないといけないような無責任な態度で聞かれたって意味あるわけないしね。
自分で責任を持ってどういうものか考えてみるべし。